heartbreaking.

中年の末路とその記録

「死にたい」という言葉は、ふしだらに遊びまくって身籠った女が吐くような、そんな軽い言葉じゃない。

顔が可愛くて、綺麗な体をしている女は、いいですねえ。

そういう女が、男で失敗した時、簡単に「死にたい」を口にするけれど、貴方の味わっている打撃は、容姿に恵まれていない女から見れば、まだまだ生ぬるいですよ。

綺麗なお顔と、乳首と、おまんこが付いていて良かったですねえ。

人に対してどんな残酷なことをしても、我儘で人を傷付けても、何度「死にたい」と言って自殺をチラつかせても、容姿で傷付けられることのないオブラートで守られている。

一度は、容姿を思いきり否定される苦しみを味わったほうがいいんじゃないですか。

容姿を否定されることは、自分の存在を否定されることに等しい。時に、死を超越するほどの絶望感を精神に加えてくる。潰れそうなほど苦しい夜を、貴方は味わったことがありますか。

徹底的に自信を破壊された後に流れる涙と、死に誘われながら孤独に眠る夜を、数え切れぬほど超えて生きてきた人間からすれば、この間のNさんの愛人が身籠った件も、糞ガキが、神のきまぐれで与えられただけのその財産を、顔も体もぐちゃぐちゃにして出直してこいと思うだけだった。

セックスの演技を、躊躇うことなく出来るのは、自分の容姿に対する否定を一度も受けたことがなく、ちやほやされて生きてきたからだ。

苦労や努力とはまったく関係ないところで、人より容姿が優れているということは、その人に甘えしかもたらさない。

甘えは、容姿に恵まれた人が努力して勉強したとか、どんな地位を持っているとか、そういう部分にも関係してくるし、影響を与えてくる。

容姿を人にけなされることなく、ちやほやされて生きている、特に女は、自分の存在を真に否定する悲しみを知らない。

鏡を殴って、粉々にしたいほどの苦しみを知らない。

己の乳首や性器に、深い憎悪を抱き、もう見たくない……!引き千切りたい!何故こんなものが私の体に付いているのだ!と思うほどの、絶望感を一度も味わっていない。

AV女優を観て自慰をするとき、その女の背景や面倒くさい個性を感じなくて済む、ただの玩具として存在するなら、自分の求めていた容姿と一体になり、大いに役に立つことはある。

だが、いつもそういうわけではない。

この容姿を否定されながら、事実であるため強くは言い返せず、ただ涙を呑んで生きてきたことは、今でも油断すると襲い掛かってくる。

今この体に纏わりつく、引きはがすことのできないパーツに対する憎悪を抱いている時は、目の前の画面に映るAV女優を、心の中を空洞にして、あり得ないものとして自分の中で処理しようとする。とても苦しい作業だ。

ふざけるな……お前などに何が解る……

綺麗な乳房が揺れるのを見る度、形のいい乳首がいたぶられる様子を見る度、腹の奥底から憎悪が襲い掛かる。

それが、アン、アアン、とか言ってても、その体が完璧であればあるほど、それを得られなかった悲しみが、誰も手の届かぬほど深く暗い憎悪の世界へと続く扉を開ける。

恵まれた容姿で、快楽を追い求めただけの人間が、後に子供を身籠り認知されないからと、簡単に「死にたい」という重い言葉を口にすることを赦すのは、俺がこれまでに存在否定されて生きてきた過去をうやむやにするのと同じくらいに、重いことだ。

美しい顔と体に、完璧な苦しみが宿ることはない。
存在を否定される苦しみが欠けているからだ。それを大げさに、苦しいだの、死にたいだの、簡単に口にされても困る。

「死にたい」という言葉は、そんな軽い言葉じゃない。遊んだ結果に起きる不運なら、自分が反省すればいい。

お前がどんな努力をしたとか、そんなのは関係ない。

子供を身籠ったから何だと言うのだ。

そんなもので、これまで否定されて生きてきた俺の同情心を得られると思うな。