私は子供がいないことで過去に様々な会社で差別のようなことをされて生きてきました。面倒くさいので他人と一定の距離を空けておく生き方を選んでいます。ウェブでは既婚者が独身者を馬鹿にしている文面が出てきます。高齢独身女は幼稚だ、などの明らかに想像力が欠如した言いたい放題が罷り通っている。そうは思いたくなくても皆が内心こう思ってるのかもな……と諦めと同時にやや人間不信気味です。リアルで既婚者と意見がすれ違う度にドス暗くなることもあるが、マウントとられてんのかな、みたいな嫌な想像で一人で闇に落っこちている時間もある。
私は子供がおりません。ですから主婦の会話には付いてゆけません、興味もないです。斗比主閲子の姑日記なんてタイトルだけで避けたいと昔から思っているので見ないです。40代になってもいまだに挨拶代わりに子供がいるかどうかを確認とってくる人が多すぎるのでその度に疲れています。前の会社ではこんなことがありました。上司に「お子さんは?」と尋ねられたので「いません」とだけ答えるとすぐさまその上司は「すみません」と私に対して謝ってくれました。嗚呼こんな人もいるのだなと、その時は人の持つ良心の片鱗をほんの少しだけ垣間見た気がしました。
人の領域にむやみに立ち入らない、気遣いがあるかどうかだけです。皆それが出来てないです。ですからリアルで出会う人に話すことはなにもないです。
いまは少数者の存在が徐々に認められつつある世の中ですが、昔は目立たずひっそり闇に葬られていたかもしれないです。子供がいない私は毎夜寝る前に楽しいことを考えようとしてもこの歌が頭の中に浮かんでくるのです。「こんにちは赤ちゃん(昭和38年)」という歌です。この歌が流行っていた頃に、理由あって子供を諦めざるを得なかった女性たちはどのようにこの苦しみを乗り越えその生涯を閉じていったのでしょう。きっと一人一人の女性にドラマがあったはず。理由があろうとなかろうと、誰もそのような話には興味がなかったのかもしれないです。
昔、関わりのあった女性ブロガーが次々と子供を産んで母親になってゆきましたが、私は「おめでとう」の一言も言えなかったです。悲しみが憎悪へ変わる言葉「おめでとう」を発しないことは私にとっては最良の選択で、この身を刻んでまで発する言葉ではないと思っていました。友情を失っても致し方ない、それが生きる術だと、俯いて黙っていました。
裏切りは女の世界ではしょっちゅうあります。わざとでも、見せつけるでもなく、彼女らはそれを手に入れてゆくのです。ずっと同じなんてことはないです。
子供がいないで生きている貴方は一体何処にいるのですか。私の目には貴方の姿が入ってこないのできっと、貴方も私もこの世の中では透明人間なのですね。今日も何処かで主婦の子供の話に疲れましたか、自分の中にあるわずかな幸せすらすり減らしてしまうほど彼女たちの声も、愚痴すらも、なにもかも眩しすぎて死んでしまいたくなる。彼女たちの声が、話が、私にはとてもつらいと言うこと、私はなにも悪くないということ。届かないけれどいつもそう言いたい。そんな風に頭の中で答えを探し求める日々を繰り返すうちに外は枯草が緑に変わっていました。私はもうそのように煌めくこともないのだろうけど……薄笑いで生きていきます。