heartbreaking.

中年の末路とその記録

人の優しさを信じてみたいと思った。

今更ですがバレンタインの日に会社で先輩に小さなチョコレートを貰い、それだけで生きてる実感が湧き起こり人の優しさに触れた気がした。こんなことでもしかしたらその日犯罪者へ変わっていたはずの人すら行動を起こさずに済んでいたかもしれない。自分の存在を傍にいる人が忘れずにいてくれることは生きていくために必要で……もし忘れられると(たとえば自分だけがその人にチョコを貰えないetc...)どんな空っぽが待ち受けているのかとおぞましいほど寒気を感じる。こんな優しい会社初めてだ。普段独りでいることを好むような人でもこんなイベントの時くらいは独りでいたくない。

ありがとうございますと伝えてポケットの中に仕舞い込んだ。そのチョコを潰してしまわぬよう気遣うのに必死だったが、その時からバフ効果が発生していたのか自分は確かに心から笑っていた。

その日腹が減っていたので昼休みに会社の隅に座り、貰ったチョコに頭を下げて食べてしまったが包み紙をごみ箱に捨てられるわけないのでポケットに入れ家に持ち帰った。

嗚呼何かお礼をしないとなと思いながら部屋で包み紙を眺めている自分がいた。数秒後、目の周りが熱くなって涙が流れ出た。女性らしい包み紙を見ているとその笑顔が頭に浮かんできた。この存在を忘れずにいてくれることが嬉しくて泣いてしまったのかもしれない。

男らしさとか女らしさってやつは、同性を相手にする時こそ真価が発揮されるのかもしれない。世間一般的には男女間のイベントとされることでも、男が男へ、女は女へ、小さな真心を渡してみてもいいんじゃないかな。。。

自分は人としゃべることが苦手で不器用でかなりの挙動不審なんだけど(2重人格が治らない)、それなのに仲間に入れてくれている心優しい人たちがいる。

人の優しさを信じてみたいと思った。金額なんかどうでもいい、どんな小さな欠片でも構わない、その貴方の優しさが一人の人間を変えてゆく。