heartbreaking.

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どんな「いじめ」を受けたのか教えてくれませんか?/追記

俺は学校で「いじめ」にあった事は多分なかったと思います。「多分」ってのは、そもそも「いじめ」の定義そのものが曖昧でよく解らないからです。

いじめたつもりなどなくても、勝手に被害者意識を持たれて「いじめられている」と感じる人がいるかもしれません。

シカトされるとか、あるグループに仲間はずれにされるとか、机に不細工な自分の似顔絵を毎日落書きされるんだとか、…言い出したらキリがないので。一体どこまでが「いじめ」に該当するのか線引きが難しいので、自分がいじめられていたのか、いじめていたのか、それすらもはっきりと解らないのです。

だから「俺は、私は、いじめられてました!」って声を大にして言える人ってのは、一体どの程度のいじめを受けてきたのでしょうか。それがいつも不思議なんです。

長期に渡って同一人物もしくは同一グループに何らかの精神的な打撃を受け続けることなのか、それとも何処かに監禁されて肉体的なダメージを与えられることなのか。教師に目を付けられてなぐられることなのか。

いじめは良くないってのは主張するまでもなく当たり前の事ですから。本心から誰かを救いたいと思うならば、まず貴方は過去にどのような「いじめ」を受けたのか聞かせてもらえませんか。自分のテリトリーは穢されないように頑なに守りながら正義のヒーローぶっても、誰も救えはしませんよ。

俺が求めるのはリアリティのみであり、上っ面だけの正義感を振りかざされても、何も心に響いてはこないからです。

そして、いじめを受ける側というのは、自分の非を認めようとはしません。「不細工」「デブ」「チビ」等… 生まれ持った肉体的な欠陥を突くいじめは確かに罪深いと思いますが、

自分の性格もしくは振る舞いに何らかの落ち度があって周囲にいじめられる自分の過失までを「いじめられた」と頑なに信じ込んでいる人がいるような気がします。それは逃げてるだけですよ。

不細工でもデブでもチビでも、世渡りの上手い人はそもそも いじめなどに合う事はありません。そうゆう人は自分の欠点をポジティヴに受け止めながら、積極的に人と関わろうと努力を惜しまない人だからです。そうゆう人は人々に信頼されますし友達も多いはずです。不細工でデブでチビな人全員がいじめられているわけではないと思います。

仮に、不細工でデブでチビだから俺はいじめられたんだ!と嘆く貴方が、綺麗で細身の長身な姿を持って生まれ変わるとしても、貴方がいじめに絶対合わないとは言い切れません。

つまり、いじめられている貴方は、もともと「いじめ」に合いやすい何らかの因子を持っているという事です。全ては運命なんですよ。

追記:

不細工な外見によって、精神が歪められたのだという考えもありますが、それは「いじめ」問題とは別の視点にたって考えるべき事があると思います。つまり親の差別意識から無くして行かなければ、子供の差別意識も変える事は出来ないという事です。

…ってのをスーパーに買い物に行く前に打ったのですが、後で読んでみると意味不明だな。

更に追記:

でも何か胡散臭いよなあ… 俺も俺も俺もって、次々と有名な人たちが「いじめ」られてました!って告白してるのって、果たして何処までが本当なのかな。

-どんないじめ受けてたの?-

って、案外そいつらがいじめと認識する内容を聞いてみりゃあ、俺が「いじめ」とは認識せずに学生時代に沢山受けてきた経験が、実はそいつらにとっては「いじめられた」って定義になってんのかもしれねえけどな。

頭のいい奴等は何でもかんでも過剰に装飾して自分を美化しようとするからな、いじめも己を着飾る装飾品程度にしか思ってねえんじゃないか。俺はそんな奴等は信用しないけどな。 ちょっと言い過ぎました。

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goo blog funamushi2 - 2006-11-15 16:03:07 コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )

コメント

Unknown (hashigotan)
2006-11-15 16:45:10
「いじめ」って聞いてもいまいち心に響くものがないんですよ。それは各々の主観によって誇大妄想気味になっている人が意外と多いからだと思う。

昔の話ですが... (hero)
2006-11-15 20:21:10
いじめられていた人が転校したり、その後同窓会の通知にも全く連絡が取れなかったりすると...
やはり当時はかなり傷ついていたのかなと思います。

heroさん、こんばんは。 (hashigotan)
2006-11-15 20:44:08
同窓会は嫌でしょうね。いじめる側の人間は、いじめられる側の人間が今は大人になっているのにも関わらず、心の中で「あいつは俺の子分だったやつだ」とか、当時とまったく変わらないままに見下している場合が多いでしょうから…
いじめられる側の人間ってのは、特別 感受性が豊かなのかもしれないです。もしくは、自分の意見をはっきりいえないから、勝手に自分で誤解して閉じこもってしまうとか。(あ、俺も似たようなところはありますが。
嗚呼~・・この記事はちょっとキツク言い過ぎたかもしれません。
例えば母子家庭だったとか、人それぞれに色々事情がありますからね、、 
コメント有難うございます。

こんにちは。 (aki)
2006-11-16 09:10:30
うん。私が受けた悪口も、他人からみたら全然いじめではないと思うし、いじめの範疇にもはいらないと思う。もっと深刻ないじめがあるし。私は被害妄想が強くて、コミュニケーション能力が無くて、精神的に自立してない。だから、悪口に毅然とした対応が出来なかった。私のような空気が読めない不幸ぶった偽善者の構ってちゃんは、周りからみたら相当イライラすると思う。環境に悪い存在だっと思う。悪口を言われても仕方がなかったよ。

akiさん、こんばんは。 (hashigotan)
2006-11-16 14:18:27
いじめの深刻性は、その当時に 一人でも自分が心から信頼できる友達が居たかどうかに尽きると思います。
四面楚歌で、まさにどちらをむいても敵だらけで相談できる友達も一人も存在しない・・・のような場合ですと、かなり深刻な事態だと思います。
俺も、何人かは「仲間」と呼べる友達が居たので、クラスの中で俺をシカトしたり陰口を叩いている集団があってもそのグループに振り回されることはありませんでした。
でも俺も被害妄想で、誰も言ってもないのに悪口が聞える幻聴とか、自分から積極的にクラスの輪に入ろうともしないのに誰もかまってくれないとかちょっと悲しくなったりとか、そうゆう事はありました。それでも俺が引き篭もらずに学校に通い続けたのは、数人の仲間がいつもそばに居たからだと感じています。
akiさんの気持ちはよく解るような気がします。
俺の場合は学生時代のいじめよりも、社会人になってから自分の卑屈さが原因でいじめられていると誤解してしまった自分の方に問題があって、考えるべき事が多いような気がしています。
コメント有難うございます。

b_say_soさんへ(ブクマコメントへのレス (hashigotan)
2006-11-16 17:49:56
b_say_soさんに以下のブクマコメントをいただきました。
『2006年11月16日 b_say_so ひと, 社会, なぜかだめ 痛みや苦しみをもう一度再体験しろという権利はあなたにはない。誰にもない。』
過去の体験を語る事でしか、過去の自分と同じ状況で今まさに苦しんでいる人たちを救ってあげる事は出来ないのです。自分は何もリスクを負わないままに、人の苦しみを理解しようなんて、なんて虫のいい話なんでしょう…

Unknown (ののか)
2006-11-16 22:21:34
最初は「そうか、なるほどね~」と思った。
で、もしかしたら「いじめ」という言葉自体が良くないのかなと思いました。「精神的虐待」とでも言えばまた、とらえ方も違ってくるのかなと。
「性的虐待」のことを「いたずら」と表現されると、たいしたことのないように思ってしまう人がいるように。
ただトラウマになってしまうほど、ひどい「いじめ」を体験した人に「語ってくれ」というのは酷だと思う。あなたの受けた性的虐待を詳しく語ってください、というのと同じことになるんじゃないかと思った。
hashigotanは「それとこれとは違う」と思うかもしれないけれどさ。
語れない人は、語れない理由があるんだと思うよ。語ることでまた記憶がリアルによみがえって具合が悪くなっても、誰も責任はとれないでしょう。やっとの思いで自分の体験を語ったとして、「たいしたことない」とか「本当にあったことなのか」とか「犬にかまれたと思って忘れろ」とか言う人がいれば、その人は二重に傷付くんじゃないかな。
「語れる人」は勇気がある人だと思うけれど、だからと言って「語れない人」の語らない自由を奪ってはいけないと思うし、それを責めるような言い方をするのは、どうなのかなと思った。

ののかさん、こんばんは。 (hashigotan)
2006-11-17 00:52:36
「精神的虐待」という言葉を、安易に「うつ病」という言葉のように世に広めてしまうと、それを逃げ口にして戦うことを最初から放棄してしまう子供達が増えてしまうのではないかという不安もあります。
子供達が戦える状況にあるに関わらず、そういった逃げ口に最初から逃避してしまうと、その子供の親が困るだろうと思います(不登校とか、転校とか。
精神的な虐待と、性的な虐待は、あきらかに異なるものだと思います。
性的な虐待の場合は、人の愛を信じられなくなるほど嬲られる事が罪深さがありますので、これは人間が人間たる所以である男女の恋愛に支障をきたすほどの重大犯罪ですので、またいじめとは別の観点にたって考えるべきだと感じます。
俺は特殊なタイプの人間なのかもしれません。俺は自分の性的虐待について語る事に意義を感じていますし、語っても語らなくても記憶に焼きついているので、なら語ろうか…という感じです。
語れない人たちは、その辛い記憶をうまく記憶の最下層に封じ込める事に成功している人たちだと思います。
それは誰かの愛を得る事によって辛い記憶を封じる事に成功しているのかもしれませんし、趣味を持つことや、オタクになる事によって記憶を封じる事に成功しているのかもしれません。
ですが最近のブログ界隈を見ていると、正義感だけが先走って、何が言いたいのやら訳のわからぬままやけに説教臭い人が多いので… じゃあ偉そうに語るお前はどんなことをしてきたのか、どんな目にあってきたのか、ってのがどうしても聞いてみたくなるんですよ。
語りたくない人は語らなくていいと思うのですが、人様の事情にかなり突っ込んで意見している一部のブロガーについては、己の事情も語ってみろよと思わずにはいられないのです。
というのが俺の考えなのですが、ののかさんの意見はとても参考になります。コメント有難うございます。

Unknown (ののか)
2006-11-17 01:16:41
「精神的虐待」というのは安易な例えだったかもしれない。
「いじめ」の中には、「性的ないやがらせ」を含むものが多いんじゃないかと思う。
私が中学生の時に、同じクラスだった男の子は明らかにいじめられていたと思う。殴る蹴るに加えて、制服のズボンを引き摺り下ろす、それを笑いながら「いじめる側」はするの。
私は「傍観者」でした。ひどいな、と思ったけれど私は何も言わなかった。それは「加害者」であるということだと思う。これは私の中で、すごく嫌な記憶だよ。思い出すたびに「自分も加害者だったんだ」と思う。
その被害者だった彼に、私は「語ってくれ」とは言えないと思う。
もしかして語るべきなのは「傍観者」なのかもしれない。いじめがあることを知っていて何もしなかった「傍観者」という名の「加害者」ね。私も、その一人だった。

ののかさん、こんばんは。 (hashigotan)
2006-11-17 01:29:34
いえ、俺も熱くなってしまいました、すみません。
元・加害者だった人で、今は反省しているという人が果たしてどれだけ存在するのかというのは興味があります。
俺の知り合いで、学生時代の過去の悪行を自慢げに語る人が居るのですが、その人は未だにその悪行についてを戦歴のように誇らしげに俺に聞かせてくる事があるので、
過去に いじめっ子だった人でも、未だにそういう風に当時のままで何も変わらない人も多いんじゃないかなあ…と俺は思います。
三つ子の魂百までで人間そう簡単には心入れ替えたりはしないですからね…
だから元・加害者たちに、いじめについて語らすというのも、加害者たちにとっての美談として片付けられてしまう危険性があるので要注意だと感じます。
私も辛かったのとか加害者が言おうものならば、じゃあ いじめの被害者の長い苦しみはなんだったの?って事になりますし。
やはり、被害者が語るしかないと感じます。でもその男の子の例は酷いですね。俺はそこまで酷いいじめは学生時代、傍観者としてすらも経験したことがありません。
という事はやはり、ののかさんの言うとおり、「傍観者」が語るのが良いのかもしれませんね。


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