heartbreaking.

中年の末路とその記録

当事者はトラウマを追体験させる文章を怖れている/追記

児童ポルノとか、そうゆう事件について具体的に語りたがるのは大抵はそれとは無関係な人たちであって、当事者ほどその話題を迂回せざるを得ない状況となる。

当事者そっちのけで、ただ想像のみで無関係な人たちがあれこれ熱心に議論しているが、まだトラウマを昇華しきれていない状況下の当事者たちは、その議論の表層をおそるおそる覗くだけで、すぐに恐怖を感じて回避せざるを得ない。理論的に考えたい意思はあるが、今ある生命を脅かしかねないほどの、潜在的に沸き起こる危機感から「読めない」という事です。トラウマのある人間は、必然的に「読めない文章」が多くなる。

当事者は、第三者が特に罪悪感なく用いる超現実的な表現や、それに即したあからさまな憶測に恐怖を覚えている。そして当事者は、抽象的かつ包括的にトラウマの出来事を身体の外側で感じながら、それを漠然とした痛みに挿げ替えて、世の中の心無い憶測から耳を塞いで生きるしかないのである。

当事者の精神は、トラウマを追体験させるあらゆる出来事を具体的ではなく、より抽象的に捕らえ、具体性を記憶から突き放すことで今ある身体を必死に守ろうとしている。思考から具体性を切り離し、身体のみに直接的な具体性を求める事で、過去の穢れと同居しながらも一時的にかろうじてその苦しみから逃れる。

また、ネットで抽象的に感情のみを吐き出すことで一時的にトラウマにより抑圧された強大なストレスから解放される錯覚を得て救われる。何度同じことを繰り返そうとも、当事者の話を聞いてほしい。

当事者以外が、自分のトラウマについて熱心に議論する中で具体的かつあからさまな表現が目に飛び込んだ時点で、まだ己のトラウマの苦しみを昇華できず生きる当事者は、その議論には参加できなくなる。心臓の動悸が早くなり、息が止まりそうなショックを受ける当事者もあるだろう。

君たちは一体、何を議論したいのだ。君たちの言葉は、トラウマを背負う当事者をいたずらに苦しめるばかりで、常に犯罪者に近しい攻撃性を持って多くの当事者の心を深く傷つけている。無駄な憶測はやめろ、当事者ではない君の感情論も一切不要だ。ただストレートに、何を裁くべきなのか、それだけを議論すればよい。

そして当事者を救えるのは、当事者自身の精神の自立を置いて他にはない。

過去のトラウマを上塗りすべく、今度は自分の意思で、もっと強烈なインパクトで似通う出来事を経験し、記憶を塗りつぶそうと足掻くのもありだろう。幾度となく、トラウマと、自ら望んで勝ち得た今のインパクトの衝突、そしてゆるやかな合流を繰り返し、そうして少しずつ自分の人権を取り戻してゆくのだ。

追記:

ストレートに、というよりは根っこの部分をもっとストイックに保ちながら議論してほしい。そして当事者を攻撃しないように充分言葉を配慮して選ばれたし。muffdivingみたいなのは言語道断である。

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