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heartbreaking.

旧URL http://kuroihikari.hatenablog.com/

 

友達の友達は、皆友達では無い

身体 交流

いつまでも心に消えない、学生時代の大して仲も良くないヤツの一言が・・・永遠に抜けない棘となり・・この心を苦しめている。

学生時代「友達の友達」って存在は・・実に厄介だったね。もともと興味は無くてイケ好かんヤツでも、アイツの友達だからって理由で話をするようになるから。好きで付き合ってる真打が用事で居なくなった間・・その友達の友達と、自分が二人っきりになる時間は最悪だね。

お互いに、コイツなんかドーデモいい、俺は仕方なく付き合ってるだけ。アイツの顔を立てるために・・・、って心の中で思いながら嫌々、話をしてるから。だから、そうゆう時間の中で、必ず嫌味が一発、二発、発射されるんだよね。

俺の場合、その友達の友達は・・俺の身体的欠点をズケズケ突いてくる無神経なヤツだったから。当時は、俺の・・どうしようも出来ない体の欠点を、正面からビシッ!っと指摘されて、明らかに蔑んだような目でみられたのがモーレツにショックで。部屋の電気消して、暗闇の中でベッドに倒れこんで。悔しくて泣いてたときもある。

言い返せないから。・・体の欠点を突かれると、何も言い返せないから。

ソイツの放った無神経な一言は、今も・・何かの拍子に思い出される。そのときのシチュエーションまで細々と記憶していて最悪。その部屋の風景とか、イチイチ覚えてる。

なんで、その友達の友達が俺にばかり突っかかってくるのかは知っていた。お互いに、親友だと信じていた人の側に居るヤツに、自分の親友を奪われるんじゃないか?って恐怖を感じていたからだ。

だから、少しでも相手の弱点を探して、ソコを突くことで・・自分を見ただけで嫌悪して遠ざかってゆくようにしようと目論んでいた。・・そうすれば必然的に、早いもの勝ちになるし。先に、親友を奪えば、ソイツは近づいてこないから親友と二人っきりになれる。

俺も、好き嫌いはハッキリしてるので。嫌なヤツと無理してまで一緒に過ごそうとは思わないし。集団で群れるより、二・三人の気の合うヤツと遊ぶほうが楽しい。

自分が居場所とした集団の中に、気に入らないヤツが一人でも居ると気分が悪い。友達の友達とはいえ、何でこんなヤツが?って思うほどムカつくヤツが居る。ソイツが欠席した日は本当に嬉しいね。毎日、欠席してくれりゃあイイのにな、って思った翌日に元気そうに登校してきたときは、ガックリしてしまう。

あー、またコイツと毎日顔合わせてかなきゃならんのか、って。

社会人になってからも、会社で勤めるかぎりは、常にどこかの集団に属しているワケだから。そうゆう人間関係で悩むことも多いよね。

でも、面白いモンだよ。・・・学生時代は、少々嫌なヤツが己の属する集団に居ても、逃げ出さずに居られたのに。会社で属する集団の中に嫌なヤツが居た場合は・・・・・、「退職」って言葉が頭をチラつくから。ようするに、社会に出てからのほうが、人間関係に対する耐性が弱くなったような気がする。

学生時代は、まだ皆が人として不完全であるし。親の傘下にあるから、責任も無い。だから、自分が「嫌だなコイツ」って思うヤツが近くに居ても、それほどダメージを食らうことはない。現実世界のシガラミが、まだ少なく比較的ラクに生きられる状態だからだ。

でも社会人になると、生きる為、誰かを生かす為の責任が伴ってくるから、プライドとプレッシャーの板ばさみになって・・ちょっとした人間関係の歪が、巨大なダメージになって即、オノレの身に跳ね返ってくる。

・・・・・だから俺は思うのよ。学校帰りの学生を見て「あー、気楽そうでイイね」って。

goo blog funamushi2 - 2005-11-30 13:58:39 コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

コメント

分かります (ポン)
2006-12-16 21:29:01
無神経な友達……います。自分のコンプレックスは自分が一番よく知っていることだし、それを他人から指摘されたときの気持ちといったらもう……まずそれを一々口に出して指摘することが考えられないです。相手がどんな気持ちになるかとか分からないのかな…
…こんな時悔しくて泣いてしまいますよね。私はまだ学生ですが今日そんなことがあってへこんでた所です…。言い返すこともできずヘラヘラ笑ってごまかしてました。辛かった。

ボンさん、はじめまして。 (hashigotan)
2006-12-16 22:03:09
嗚呼、解ります。
俺も高校時代に、友達の友達に身体的なコンプレックスを、はっきり面と向かって言い放たれたのはショックでした。
そして俺は今30歳近くで、あれから10年以上たつにもかかわらず、いまだにその時の言葉に傷ついたまま生きています。
言葉って心に刺さるんですよね。身体的なコンプレックスにかかわらず、人それぞれにもって生まれた性質ってものがありますから、そういった一人一人が生まれ持つ特徴を異端視するのではなくて、それも一つの「個性」であると考えられる人ばかりならば、そんな心無い一言も無くなるだろうと思うのですが…
人の痛みが解らない人が多すぎますね。
ボンさんの心に刺さった棘が、俺みたいに10年たってもまだ刺さったままでいるような、そんな最悪の事態にならないように願うばかりです。
俺もこの嫌な言葉を背負ったまま、墓に入るのは本当に辛いです。
コメント有難うございます。


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