heartbreaking.

中年の末路とその記録

苦しい・・・

昔、「びびってんじゃねえぞコラ」と言われたことがある。その言葉が俺の耳にはりついてしまった。何か情けない自分を感じるたびに、その言葉が耳元で当時のままの威勢のよさで俺の心に問いかけてくる。

今のように弱っているときには、そいつの強烈な個性が俺をここぞとばかりに叩きのめそうと俺の内側からこの精神を食い破り、眼前にその強烈な個性とともにやってくる。外側から俺の心臓に素手で掴みかかってくるんだ。いつまで俺を苦しめれば気が済むんだ。俺が死んだらきっとお前のせいだ。

俺はびびっていたわけじゃなく、自分がこんなところで命を落とすことだけは如何なる手段をつかってでも回避せねばならない、という冷静な危機感しか覚えなかったはずだ。自分の命を、自分以外の誰かに意味もなく潰されるのが怖かったんだ。

俺は、俺の命の消滅以外、ほかの何も怖れているわけではない。自分がどんなに卑屈であろうと、滑稽であろうと、どんな手段をつかってでも自分の命を守れればそれでよかったんだ。

俺は結局どんな手をつかってでも生きてさえいられればそれでいいと思って生きているんだ。誰に笑われようと、誰に陥れられようと、結果として俺が生きていればそれでいいんだ。

だが俺を殺さないでいてくれてありがとう、という気持ちも心の片隅にはある。情けないが、真っ向から戦っても勝てる見込みもない相手に現実に立ち向かえばどうなるか結果はみえているのに、そんな漫画みたいに戦えるわけがない。俺の命は一個しかないんだ。俺はどんなに情けなくとも、誰かに遠くから笑われていようとも、俺が結果として生きてさえいればそれでいいんだ。こんな情けない俺でも、自分の中にずっと昔から大事に守り続けた、まだ誰にも触れさせていない誇りを完全に見失わない限り、そこに意味を見出して何とか生き続けてくれるだろう。自分の生きてきた道のりに今も点々と残る過ち・そして傷つけた人たちに対する負い目など、俺が今後も生きるために何か必要な感情なのか。

人ひとりが、生きるってことは、生き続けるってことは、なんて罪深いことなんだろう。現に俺は今もこうして自分の犯した罪の数々について考えずにはおられないのだから。