heartbreaking.

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尼さんが処女でもそうでなくてもどっちでもいいが俺は近頃の下品なやつらがどうにも苦手だ…

10年前に買った尼さんの本を、人生に迷った時は風呂に浸かりながら読んでいます。いつのまにかこれが自分の心に寄り添う本になっていた。
10歳の頃から御仏に嫁ぎ、寒い冬空の下、毎日決められた時間に鐘をつき、手もかじかむ冷たい水で雑巾をしぼり…、質素な食事をとり、わずかばかりの空き時間に勉強し・お経を覚え、人々の悩める心を癒すために日々小さな努力を積み重ねてきた… そのような立派な人の話であれば素直に聞くしかないじゃないか……

仏様と結婚をしたと言いきれるくらいの人が尼さんであってほしい。……願わくば…処女であってほしいという願望を抱くことをやめられなかった。

バベットの晩餐会という映画では、牧師の父を持つ美しい姉妹は男たちの魅力的な求愛を受けながらもそれに流されることなく生涯処女を貫きとおした(…ように見受けられた)、だからこの映画に感動し・涙を流した。この作品は上品であるからこそ良い。俺は基本的には上品な世界が好きだから、チンコマンコだのヤリチンだの言ってる糞野郎やビッチ共はあまり好きじゃない(俺が言うな、かもだが)。近頃の若い奴らはどうかしている…、上品さのカケラもない、最悪だと思っているので近付かないように気をつけている。
…この姉妹のように、何者にも穢されない清き心で教えを説くことが尊いのだと信じていた、つい最近まで…
けれど現実の尼さんは非処女が結構いそう…… 己の穢れを知った上で仏様と向き合い続ける、それもまた複雑怪奇な現代に求められる尼さんの姿かもしれないな、…と今はこの本を読みながら認めざるを得ないのだった…(逆に処女の尼さんは、このような愛の法話をするときは、まさか想像だけで説いているのか、謎)
そして尼さんの観察眼はあまりにも鋭く、解き放つ言葉は穢れ無き炎のように(穢れていたとしてもw)、魂へ浸透するものが多い。つまり文章上手いですw

この本を買った当時は独身だったので、夫婦話・浮気話が出てくるたびに憂鬱で真面目に読んでいませんでした (瀬戸内寂聴は昔は不倫してただろう!と罵っていました)。時が流れ、この本の内容が私の心に近付き、語りかけてくるようになりました。すると自然に手が伸びてしまい、気付けばいつも風呂の友になってます。

生まれたときも裸なら 死ぬときも裸なり (青山俊董)

「二人の愛は永遠に」 なんて馬鹿なことがあるはずがない。愛が薄くなり、やがて憎悪に変わる日が来るのも当たり前。

”諸行無常” という道理のまえに、すべて当たり前のことばかりです。そんな浮き草のようにひとところにとどまらず、うつろうてゆくものに、幸せのよりどころを求めているという生き方そのものに、基本的な問題があるのではないでしょうか。
持ち物よりも、持ち主である私自身、衣装を着る人であるあなた自身の生き方が忘れられていることに、私たちは気づかなくてはいけないのではないでしょうか。

長く一緒にいるほど愛が薄らぎますね、そして私は頭髪も薄らぎました(あ、それは円形脱毛症なんで関係ないですw)。

親子・恋人・ぺットの犬猫、なんでもよいですが、それらは自分の長い人生においてはあくまで「付属品」であると筆者は説いている。そうした人や物を主体的にとらえすぎるあまり、やがて依存したり・過剰に愛を求めすぎたりすると、それを失うときに人生にむなしさをおぼえるかもしれない。そうならないためには、自分主体で考えて行動・選択をしていったほうが、この命が尽きるときもきっと後悔しなくて済む生き方ができているはず。そんなふうにとらえました。

さらに以下のような引用が添えられていました(引用多くてスミマセン)

女王のような華やかな着物、乞食という衣装、僧服、金持ち、社長、美人、さらには主義とかうぬぼれとか劣等感とか。すべてが衣装。ほとんどの人がこの衣装ばかり目を奪われて一生を終わる。すべてを脱ぎ捨てて裸の私自身をどうするかを、まったく忘れてしまっている。
―フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソー 「エミール」―