heartbreaking.

中年の末路とその記録

心の底から、楽しいことを楽しいと思える人になりたい。

彼氏に煙草を買ってもらったり、食事を奢ってもらって、なんとか生活している。こんなのを羨ましいと思う人もいるかもしれない。でも楽しいかと言われるとそうでもない。いつも金で助けていただいている自分のことを情けないと思いながら、でもその厚意を受け取らなければ、生きてゆけない現状の中で、いつも苦しんでいる。世の中に夢みたいな話はない。彼氏の出すお金で贅沢な食事をして、お腹いっぱいになり、美味しい煙草を吸っても、頭の中は常にお金、お金、で、本当にくつろげたことがない。自分のお金以外で美味しいものを食べて満腹でも、心はいつも空腹で、まるで、乞食が道行く人誰にでも縋り物乞いしているような心境で、この夢の生活がいつまで続くのかと思いながら、でも不安を口にすることはできない。金がなくて、誰かに金で助けてもらえるような状況の中にあっても、苦しみは続くし、困った時は生活もなんとかしてやると言われていても、不安がなくなるわけじゃなく、でも言えない……その言葉を言ってくれる人が、いつまでも自分のほうを見てくれるのか。思いきり甘えてみればいいと言われても、相手が気付いてくれなければ、自分からは言い出せない。いつも誰かに助けられて生きてきた。自分はいつも金がなくて、誰かにしてもらうばかりで、してあげたことはあまりなくて、金に追われて、失敗ばかりの、成功の一つもない、情けない、泣きたくなるような人生だった。成功する人たちを見るのがつらい。見たくないので目を逸らしていても気になって、そっとのぞいてみれば、打ちのめされて、どんどん差は広がるばかりで。でも仕事は手取り12~13万ほどの底辺労働ばかりしかなくて、できなくて、ずっと底辺でもがいて、泥沼の中から這い上がることができない。これを甘えだと思うだろうか。確かに努力が足りなかったのかもしれない。でももうどうすることもできない。自分に残っているのは、誰かがくれる情けからくる厚意で煙草を恵んでもらったり、ごはん食べさせてもらう道しかないのだ。だけどまだ理性の働くマトモな自分が、人に助けてもらい続けるのは最低の暮らしだと怒っているので、なんとか足掻きながら自分で稼いで生活しようとする。だけど、今度は上手くいくかと思った頃に会社で過酷労働で眩暈で簡単に倒れてしまい、また誰かに助けられる生活に舞い戻る。でも、こんな不安の中でも、先への借金を重ねながら今のマンションに暮らしていられるし、屋根のついたところで眠れるだけ有り難いと思いながら……でも、この繰り返しで、上がることもない、ただ自分の命を永らえさせているだけ。人に迷惑をかけながら。普通の生活に戻り、心の底から、楽しいことを楽しいと思える人になりたい。美味しいものを食べても、その時々は面白くて笑っていても、不安なままの彷徨う心は、世界に永遠の、さよならを言いたがっていて、いつも空腹で、笑っていない。誰も手の届かぬところに消えたい。