heartbreaking.

中年の末路とその記録

親より先に死ぬほどの、親不孝はない

昨日、母の日で、私は今お金がないので、最初は、一輪のカーネーションでもいいから今年は贈っておくか……という軽い気分で近所のスーパーへ行った。

スーパーの一角にある花売り場を見ると、一輪のカーネーションと、そしてたくさんのカーネーションが詰まった鉢植えとがあった。

母は花が好きなので、たくさんあったほうがいいだろうと思い、これから先の希望を顕すかのように、蕾のたくさんある、明るい色の、枯れた花が一輪も混じっていない、一番綺麗なカーネーションの鉢植えを選んで、車の助手席の足元に大事に置いて、実家に向かう途中も、早くこの花を渡して、喜ぶ母の顔が見たい……と思った。

実家に着くと、事前に電話で連絡しておいたので、母がわざわざ家から出て外で待ってくれていた。

車のドアを開けて出る時に、助手席の足元に大事に積んでいたカーネーションの鉢植えを手渡すと、母が「わあっ……」と嬉しそうに受け取ってくれて「ありがとう」と言って、本当に嬉しそうな顔をしていた。

こんな当たり前のことを、今まで怠っていたことも多かった。

感謝ならいつもしている。だけど、母の日は特別なんだろうな。

家に入ると、父も元気そうで、コーヒーを出してもらって三人で、近況を話していた。

こんな駄目な自分でも、まだ親は、信じていてくれる。

私がこの世に存在することを、これほどまでに、喜んでくれる人達がいるだろうか……

……いない。親だけだ。

私が独り身のままで老いてゆくのを想像して、夜も眠れぬほど心配しているかもしれない。

会う度に、顔がやつれて、皺だらけになってゆく母の顔を見ると、心の中で目を逸らす。

いつまで三人、笑顔で生きていられるのだろう。

私は生活が不安定なことを隠して、今も働いている嘘をついて、そうして家を出た。

帰りは、父と母がわざわざ、私の車を見送ってくれて、その後で、自分のマンションに帰る途中も、思うことはただ一つだった。

自分は、生きなければならない。

自分が死ぬことで、涙を流す人が一人でもいる限り。

強くならなければ、何があっても、誰に嫌われても、笑われても、諦めたら、この人達を悲しませる。それは、この命がなくなることよりも、つらく、悲しい。

そのあとで、いつもお世話になっている彼氏のお母さんにもお菓子を買ってご挨拶してきた。彼氏もカーネーションの鉢植えを選んだようで、素敵な笑顔を見れて、嬉しかった。自分の親を大事にするのと同じように、自分のことを大事にしてくれる人の親のことも考えなければならない。

時々、母の日を忘れたように過ごしてしまうこともあったけれど、こうした特別な日には、感謝の気持ちを伝えておかなければならないと思い、出かけた甲斐があった。

私はもう親にはなれそうもないけれど、親を想う気持ちなら……誰にも負けないくらいある。自分の親と、大切な人の親に対してだけは、持ち続けていたい。

……だけど自分の人生を振り返れば、どう考えても、生まれてこないほうがよかったと思う。生まれなければ、誰にも理解されないようなことに苦しまずに済んだ。(あと、追記だけど大事なこと言い忘れてた。人に迷惑をかけすぎた。それにも苦しんでいる)

これから先は正直、自信はないけれど、それでも生きてゆくよ。

親より先に死ぬほどの、親不孝はないからな……

生きているだけで、親孝行だと信じていながら、もう少しこの人生を続けてゆこうと思うよ。