heartbreaking.

中年の末路とその記録

俺の前であまりキラキラするな

通勤途中に信号待ちしていると、歩道に親子がいる。それを何気なく見ていた。

何処に行くのかは知らぬが、幼い娘は母と別れ、一人でどこぞへ向かって歩き始める。娘はピンクの上着を着ていて腹は少しでている。

それを運転席側のサイドミラーで見ていた。もう50メートルは離れただろうか。サイドミラーに映る女の子の背中がかなり小さい。

だが、ひたすら我が子の後ろ姿を見つめ続ける母は、その場を一歩たりとも動こうとはせず、ママチャリのハンドルだけ握っている。

「まだ動かんのか、この、おにぎりみたいな顔したおばはんは……」

「お母さん、もうええやろ、いつまでその場におるんや……笑うで」

振り返りもせずてくてく歩き続ける娘との対比に笑っている自分がいた。

だけど、しばらくして虚しくなる。

こんなものまで見せてくれなくても、お前らがそれなりに苦労していることならわかっている……

数か月に一度実家に帰ると、高齢の母は私の車が見えなくなるまで、同じ場所に立ち続け見送ってくれる。

私は、幸せなんだろうか。

親になれなかった自分にはただ悲しみしか感じられない。

どんな幸せも、簡単に壊されるということなのだ。

貴方が、どんなに守りたいと思っても、守れないものがあるということなんだ。

貴方の知らない場所で、そっと壊されるということなんだ。

特に、女の子を持つ親は気をつけて欲しい。

信用できる人物にこそ、大事な子供を預けてはいけない。

親の介護問題はある程度覚悟はしているものの、死を迎えるのは共通するとしても、自分がやがて病気をするのも致し方ないとしても……

なんだこの心の中にある空白。

言い訳と後悔と怒り。

甘えではなく、自分に、ヒントを与えてくれる人があまりにもいなかった。

成功者はあまり語りたがらないが、人生の大事な地点で、良き方向へと導いてくれる人のアドバイスか金銭的な支えが得られたから今日の貴方がいる。そのことを忘れて、さも自分だけがその結果を得られたように語るのは、誤解を招くからよせ。

私はほとんど自分で考えた結果だから、こうなっている。

両親が、異変(身体の問題含める)に気付いてくれなかったことが実は一番大きな問題なんだが……

親は、子供に起きている異変に鈍感でいてはいけない。それだけは絶対だ。

まあ、あれこれウジャウジャ言っても仕方ない。もう終わったのだから……すべては!

そしてこれからは、やはり「諦める」ということが寛容だろう。それしかない……

この先の約束なんて、いらない。

もう、約束を果たせる自信がない。

綺麗ごとか……本当はそうじゃない。

物騒なことばかり考えている。どうにもその物騒なことを考えるのをやめられない、年を増すごとに人を殺してしまう妄想が具体化してゆくのは、得られないものを得た人々が放つ光を浴びすぎたせいか。腹の底から空気中にぶちまける有害な吐息で物騒な妄想が現実に目の前で映像化されてしまうような気さえしている。その主人公は、自分か……頭の中の寄せ集めだけで長年、紙も鉛筆もなく、キーボードもモニターもない、暗黒な心で無心に刻み続けている。信仰してるのは宗教じゃなく、自分自身なんじゃないか。長年溜まり続けた膿で悶々としたものを抱えている自分が自分たる所以なら、こんなものいらない。ありふれた幸せが欲しい。……その幸せが手に入らぬならば、これ以上、子連れのやつらが私に精神的苦痛を与え続けるならば、生贄として、いつか、その中の一組を血祭りにあげるしかないだろう。散々キラキラした光を散りばめてきたお前の!本当の恐怖に歪む顔が見てみたい。私の与える苦痛でな。

……そうならないためにお前らが出来ること。それは、もう二度と俺の目につく場所に出てくるなってことなんだよ!