heartbreaking.

中年の末路とその記録

更新が少なくなっている理由など

ブログどうでもよくなってきた。だが俺はわざわざブログ辞めますとかそういうことは言わないでとりあえず流しておくタイプなので。

心が弱った時に、その時の気分だけで安易にブログを辞めますとか、休止しますと書く行動をあまり繰り返しすぎると信用を失う。

いかなるアクセス数にも動じない着地した運営をしていることが大事だと思う。

あまりグラグラしていると仕舞いには自分が「観察対象」へと変わってしまうことも考えられるので。

まあ放っておいても過去ログに検索来訪者は日々訪れてくれるので、その時の気分で軽々しく重大な決断を公にしないことだと思います。

最近更新が少なくなっているのは、ゲームをしている以外にもう一つ理由があって、仕事の疲労がなかなかとれにくいためです。

ある程度自分の裁量で動ける仕事なのでつい頑張りすぎて、帰ったらグッタリで、平日なにも出来ません。

若い頃は寝る前にさまざまな妄想を楽しんでいたものですが、そんな余力も尽きた自分を感じる時は寂しい。フーッと……このまま消えてしまえても、それでもいいかなと思いながら眠っています。

強力に引っ張ってくれる、生きる理由があるとしたら、やはり子供とか、自分が築いた家族とかですかね。

それがないので、ただ自分が生きるために生きているだけです。

深い絶望からくる怒りを感じていても、もうどうすることもできない諦めが先にきているので、その怒りを感じている対象を受け流すことができずにいるのなら、自分のこの命が消えてなくなるしかないと思っているので、勝ちにいくのではなく、負けを認め続けるような人生になっています。だからなるべく早く、諦めの中で掻き消して、明日へ命を転がしてゆく。

結局、生きるのは、他人のためなどではなく、まず何はさておいても自分のためでなければならないような気がしています。なかなか難しいですけどね。

親の介護など、どうしても自分の自由を殺さなければならない局面は誰しも訪れるでしょうが、でも親子でさえも、所詮、他人と同じだと思います。

本当に重要なこと、人生の悩み、親に理解してもらえてますか。

ただ血が繋がっているだけで、心は他人です。

自分が望まずして形成されていたしがらみに対処してゆくことは必要でも、親子という概念の重圧により、自分の人生が押しつぶされてしまうようでは、そもそも子供を作ることの意味すら疑問を感じるようになってしまいます。

幼稚園や学校ではイジメ問題があるのにそれに対して親はどうすることもできないのだし、社会に出れば会社でのイジメ問題まで待ち構えているのに、そんなつらい世の中に、自分が子供を作ることで、同じかそれ以上の苦しみなど与えたくないと思うことがあります。まあ現実的にもう、子供を作ることは私は無理ですけどね……

そりゃ生きてりゃ楽しいこともありはしますよ。でもそれはほんのちょっとでしょ。

人生のほとんどが、つらいことばかりなんですよ。