heartbreaking.

中年の末路とその記録

ブログ論とは、何だ・・!?

何を見つめるかという事は大事だ。それによって、自分の人生は大きく変わる。貴方にとって、自分の人生の「師」と呼べるほど尊敬出来るブロガーが一人でも存在するだろうか?残念ながら、俺には一人も存在しない。

貴方も居ないんだろ?ならば、はてブやブログを通じての付き合いでは、所詮その程度の有意義さしか見出せないという事になる。目を醒ますのが早いか、遅いか、それだけの話でブログの世界に留まる「寿命」が決まるのかもしれない。

ブログ論で、得られるのは「感覚の共有」だけだ。特に、感情に基づくブログ論は、永遠に答えは出ない。我々の生き死に関わるほど重要な論争が行われるわけでも無い。あくまで趣味としてならば、ブログ論も楽しいだろう。

だが、ブログ論を続けたところで、貴方の人生がどう変わるわけでも無い。俺も、それに気付いていないわけではない。ただ寂しいから、構って欲しいから、続けているだけだ。

誰もが取っ付きやすい全ブロガー共通の話題が「感情論に終始するブログ論」であるから、故に、明らかに趣味が異なるブロガー達とも、「好きか嫌いか」の「感覚の共有」を気軽に楽しめるのだ。これがブログ論の利点。

アクセスを増やす事に重点を置くのか。自分の人生を意義あるものに変える為、アクセスの誘惑に打ち勝ち、ブログ論以外の趣味の道を突き進むのか。ブログ論ばかり続けている貴方の手元には、人生の終わりが近付いた時、一体何が残るのだろうか・・。少し手を休めて、考えてみる事も大事かもしれない。

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goo blog funamushi2 - 2006-06-04 06:23:36 コメント ( 8 ) | Trackback ( 2 )

コメント

Unknown (aaa)
2006-06-04 09:47:52
人生の終わりが近付いた時何も残らないのはブログに限らず全てにおいて言えることです

あたしは違うよ (ノイズちん)
2006-06-04 09:54:42
人生の終わりが近づいたとき、あたしは笑って死ぬの。
残るよ、きっと。
あたしが残してきたものが、あたしを知ってる人すべてに残るって。
だから、あたしは書き続けるの。
誰かの心に。
何かの記憶に。
残るって信じて。
誰が信じなくても、あたしだけが信じてればそれで叶うんだ。
残るって信じてれば残るんだって。
何も残らないって信じれば残らないんだから、すべては心次第。
あたしはそう思ってるよ。

aaaさん (ゆがんだはしご)
2006-06-04 16:50:12
いや、残る人は残ると思うんですよ。
ブログに限らす、それは子供だったり、何かの作品だったり。
俺は子供が居ないから、ソレについては常に考えています。作品は、俺の技量では無理だから。・・では、俺が死ぬ直前に「後悔の無い人生だった」と思えるだけの「何か」が、手元に有るだろうか?と。
それを考えた時、何を重点に時間を割くべきかと悩むわけです。

ノイズちん、こんにちは。 (ゆがんだはしご)
2006-06-04 16:51:30
同じ言葉を繰り返せば、それがいつか言霊になるように。誰かの心に残るはずだと信じて書き続ければ、自分が死した後も、自分の綴った言葉達を誰かに愛してもらえるかもしれません(「言霊」はlstyさんにいただいた表現です。
言葉を誰かの心に刻む行為。これは、不老不死の薬よりも遥かに現実味のある、我が存在をこの世に留まらせる為の延命処置だと思います。
人間の命は限られているからこそ、人から人の心へと 何かを伝え、そして自分が消滅した後も、自分の命があたかも永らえているかのように愛でて欲しいのかもしれません。
・・自分でも何言ってるか解らなくなってきましたorz
ノイズちんがコメントで励ましたおかげで、元気になりました。有難う。

初めてコメントします。 (aozora)
2006-06-05 01:51:31
私も命の連鎖は子孫だけじゃないと考えています。
子どもを残さない人はたくさんいますから…。
ブログは手段の一つに過ぎませんが、このように特別な作家じゃなくても自分の何でもいい、記録を綴ることのできるインターネットに感謝しています。
すべての読者がその人が存在したことの証人です。

aozoraさん、こんにちは。 (ゆがんだはしご)
2006-06-05 13:53:51
少子化の時代ですが、俺のように独身で孤独な人たちの為にも、ブログって有りがたい存在だなあと思っています。
http://d.hatena.ne.jp/webmugi/20060215/p1
aozoraさんの「命の連鎖」って言葉で、mugiさんの上記の思い出しました。直接関係ない言葉が きっかけでも、俺の脳内で埋もれかけてた誰かの良記事がパッと鮮明に蘇る事が有ります。
このように、頭に残っている記事って結構多いんですよね・・。俺も「実のある記事」を書いて、誰かの心に刻み付けてから死にたいです。読者の中の一人でもいいから、俺が死んだ後も 何かの拍子で俺の記事を思い出してくれたならば良いのにな、と思います。
でも昨日は驚きました。aozoraさんのブログで俺の名前が連呼される日が来るとは・・。こうゆう事も含めてブログの世界って面白いなあ、って思います。俺の為に考える時間を割いていただいた事が、とても嬉しかったです。
aozoraさんにいただいた言葉の中でも、後半の「差別」に関する部分についてですが。「どこを差別するんだろう?」の部分は、確かにその通りだと思います。
弁償の人がおっしゃる差別については、俺の姿形も見えない、ブログに綴られる文章だけでは、例え虐待について話をしようとも、果たして俺が本当に差別されるべき存在であるかどうかは、ネット上だけの関わりである他者には推し量る事など不可能だと思うからです。差別ってのは、相手のリアルな状況を目にしない事には、差別のしようが無いというか・・。その文章から感じ取れる背景だけを元に相手を差別しようにも、どうにも上滑りしてしまうだろうと思うので。
・・無駄に長い理屈になってしまいました、、無理して理解しようとしなくて構わないです。言ってる俺ですら意味が解りません^^;  梅雨だからかなあ・・。何だか最近、体調が悪くて、精神が不安定になっているのかもしれません。

こんにちは。 (aozora)
2006-06-05 18:19:02
麦さんのブログにお邪魔しました。
ありがとうございました。
はしごさんを知ったのは↑のノイズちん(ちんと呼んでいいのか)のおかげです。
ところで
> 差別ってのは、相手のリアルな状況を目にしない事には、差別のしようが無いというか・・。
このあたりなんですが、
弁償の人がはしごさんを「被差別者になりたいのか」と問うたのは、はしごさんが書いた「見守ってくれている人がいます」に由来すると思います。
見守るという姿勢が対等でない→差別的行為→それに甘んじるということは被差別者として生きること と解釈したのでしょう、簡単に言えばですが。
 みちアキという人は対等な目線でモノを言ってると私も思いました。はしごさんが馬鹿にされていると感じているようだったのでそれは違うと。
 けれども、私は見守りは差別的行為とは思いません。病気を理由に弱者を気取っていると判断しているようですが、私にははしごさんが弱い人には見えません。
どうして弱く見えるのか不思議だったのでした。<どこを差別するんだろう?

aozoraさん、こんばんは。 (ゆがんだはしご)
2006-06-06 01:49:53
差別については、弁償さんの記事を読んでいるうちに、ある意味、俺より人間出来てんじゃねえか?って思えてきました(・・ショック。
弁償さんや、みちアキさんとは明らかに住む環境は異なるけれど、解ろうとしてくれる姿勢は、何となく感じました。うーん・・・。この辺が、子供を持つ母親らしいというか・・。俺も大分、頭が冷えてきました。
「見守るという行為が対等でない」については、母性愛的な感情持たれるのは、悪い気はしないです(いや、マザコンでは有りません、、。
でも「見守る」の中に、もし「性的虐待加えられた可愛そうな子」って感情が含まれるならば、これは・・かなりダメージがデカいです。今日も、一日その事について悶々と考えていました。もしかして俺は、性的虐待受けた可愛そうな子として、皆に遠慮されている?とか落ち込んだりしてました。
みちアキさんの意見は、素直な意見だと思えてきました。いや、みちアキさんタイプの人も、俺のリアルの知り合いに居るので。解らないでも無いです。
仮想世界に生きる俺は、現実世界の俺が望む強さを手に入れたのかもしれません。yukiさんの記事については、落ち着いた時に記事にするかもしれません。俺も、彼女の「何故か読まずにはいられない文章」のせいで、今回のように避けられない事態になっただけなので。セックスについても、彼女に限った話ではないですし。彼女の記事も、これからは記事単位で評価したいと思います。
ノイズちんの知り合いだったんですね。なるほど!俺も、ノイズちんは話しやすい気さくなところが好きです。ノイズちんのおかげでaozoraさんと知り合えて良かったです。


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