heartbreaking.

中年の末路とその記録

サブブログの呟きに殺される、メインブログのクオリティ。

梅雨時は体調が悪いんですよ。体にメス入れた事ある人なら解るだろうけど。とにかく憂鬱な気分なので、いつも巡回してるブログで会心の記事が次々UPされても、頭がぼーっとしてるので要点を逃してしまうんですね。

待ってくれないか?そんなに急いで次々記事出さないでくれ(しかも長文だと致命的。俺を束縛するつもりか?アンタの記事ばかり読んでたら他のブロガーの記事が読めなくなるだろ!一日の記事数はソコソコに抑えてくれよ!あー、って読んでるうちに、また次の記事が。追いつけねえよ!!!オメエは一日に何記事投稿してんだ、暇人か?って怒りを感じるブロガーは居ませんか。アンタの更新ペースは速すぎる。とてもじゃないが、追いつけない。ブログの記事書くのが「仕事」みたいに振舞ってるヤツもウゼエけどな。なに気取ってんだ。

今は、メインブログ(表向きの顔)と、サブブログ(ちょっとした呟き用) の二種類以上を運営してる人が多いですよね。でも表向きも裏向きもねだろ、って思うけどな。ブログをメインとサブで使い分けてる人ってのは、ブログの世界にハマりすぎて、逃げ場を失った人達なのよね。ちょっとアクセス増えたからって、「ブログ書くのが仕事」だと勝手に思い違いしてるから、サブブログに逃げたがるわけでしょ?

俺も、「はてな」に「hashigotanの日記」ってブログ持ってるのですが、今年の3月からプライベートモードにして放置してました。で、昨日ちょこっと更新してみたのですが・・。どうでもイイ愚痴を綴る中で、自分自身に違和感が生まれました。このブログで俺が築き上げてきた、俺なりの「美学」が崩壊するような気がして気持ちが悪くなったのです。この記事も、俺の中で「一定基準値」を越えた「合格印」の押された記事なんですね。本当に駄目な文章ってのは、いくらでも有りますよ。それはメモ帳に綴ったまま、ネット上に垂れ流そうとは思わない代物です。

美学って聞いて笑われるかもしれませんが、自分のブログに愛着持って運営する人ならば何らかの美学を持っているはずなんですよ。ブログが、自己顕示欲の顕れであるならば、それを継続する中で、自分の思考に対する拘りが生まれるんですね。ある一定水準以上の思考の塊しか出さない・いや出せないゾ!という、自分の文章に対する美学があるでしょ。

常に緊張感は持ち続けた方がいいです。それが他者にとって、美しいと感じられるか否かではなく、自分がその思考の塊を許せるか?という拘りが欲しい。

「メインブログでは、言いたい事が言えないから。じゃあサブブログで人目に余りつかないところでコッソリ呟こう」その為に、サブブログがあるわけでしょ。でも自分の文章を、自分の限界値を超えたクオリティで奇跡的に吐き出させる為には、極限まで自分の思考にストレスをかけ続ける日常が必要だと思うんですよ。

あっちもこっちもブログ運営して才能を発揮出来る人も居ますが、そうゆう人は「非凡」なので例外です。俺のような凡人が凡人らしからぬパワーを稀に発揮する為には、一点集中型でなければ成りません。

「思考の塊」って表現は、kenさんのブログを読んで覚えた言葉ですが、かなり気に入っています。

ぬるたんへ。レスした後で非公開にしてしまいました。もし心配かけてたらスミマセンorz 俺は、laisoさんの指摘通り「振れ幅が大きすぎる」のかもしれない。

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