heartbreaking.

中年の末路とその記録

スーパーは、子供の遊び場ではない

リアルでは皆、生きる事に必死だから、誰も俺の話など聞いてはくれない。母は、かろうじて俺の話に耳を傾けてはくれるのだが、障害を負った母に俺の苦しみばかりをぶつけるわけにも行かず・・

両親に孫の顔も見せてやれない自分の不甲斐なさが悲しい。俺の存在自体が、親を苦しめている。子を成せば、結婚すれば勝ちみたいな世の風潮が、孤独な独身者達を、更なる孤独な檻に閉じ込めている。愛があれば、愛さえあれば、一時でも肌のぬくもりが得られるならば、人は何処までも強く成れる。何でも我慢出来る、何でも乗り越えて行ける。自分の遺伝子が受け継がれた、自分のコピーがこの世に存在するならば、どんな苦しみだって耐えられるはずだ。

スーパーで、子供を肩車してる男が憎い。最悪なものを見てしまった、という気分になる。だからといって正面から殴りかかるわけにも行かず。その男から離れようとすると、離れた場所から更に2人の子供を連れた嫁が笑顔でやってきた。お前ら3人も子供ガラガラ連れてスーパーに来るなよ。此処はお前らのアイランドじゃねえんだ。生活の必需品を調達する為に、孤独な独身者もたくさん訪れているんだ。

スーパーは遊園地じゃねえんだ。子供の泣き声は、確実にスーパー内の独身者の心を苛立たせているんだ。子供が欲しくても得られない者達は、お前の子供の泣き声に、計り知れない苦痛を与えられている。だから子供は連れて来ないでくれ。

goo blog funamushi2 - 2006-09-13 14:19:11 コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )