heartbreaking.

中年の末路とその記録

愛のない人生

どこを向いても俗な話ばかりで、この世は確実に終わりに向かっているなと感じる。孤独な者の目には、番いの者たちの姿が嫌でも入ってくる。だが番いの者達の目には、孤独な者たちの姿など映ってはいないのだ。

番いの者たちは、ひとつの恋が終わる度に、孤独な者に「辛い」と愚痴を零すのだ。なんという贅沢だろうか。私はそのような非道な仕打ちを受ける度に、少しずつ心を失って行くのだ。

神は本当に存在するのか。穢れきった者たちは、遥か天上世界の楽園で今宵も気ままに戯れるというのに…

楽園の花々が、やつらの心無さに踏みにじられようとしている。あの楽園に行けるのは孤独な者たちだけなのです。

孤独な者を見ぬふりで、満たされた者達は傲慢に子孫を残し、この地球上に存在し続ける。孤独な者たちは、愛が何たるかも解らぬまま誰にも愛される事も無く…ただ静かに朽ち果てて行く。

誰にも見取られる事もなく。

goo blog funamushi2 - 2006-10-26 16:53:23 コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

コメント

Unknown (R)
2006-10-26 19:53:02
誰にもふり返られることなく、知られることもなく、愛も喜びも知らず、ただ苦しみだけを知って孤独に死んでゆく小さな命たちだけが楽園に住めるというなら、神はいると信じられます。
静かになって余計に寂しさをおぼえます。
意見も様々ありましたが、hashigotanのことは
これからも見ています。

Rさん、こんばんは。 (hashigotan)
2006-10-26 23:44:37
ここ最近の俺は、他人に干渉しすぎたかもしれません。
今回の件も、俺の信念がいまいち皆さんに伝わっていない結果に終わり無念ですが、
今回俺が怒りを感じた対象は、どうやら俺自身への嫌悪感の裏返しでもあったような気がしています。いっつあんさんが言う通り、自分の醜悪な部分を 相手の妙に媚びた文章から嗅ぎ取って気分が悪くなったのかもしれません。
ですが今回の件は、俺にとっては全く無価値な戦いではなく、それなりに得るものもあったと思います。
愛を思うまま享受できる人間だけが、笑顔で二人並んで楽しげに歩いている。そんな光景を目にする度に、自分はなぜいつまでも一人なのかと、胸を切り刻まれるような苦しみを感じています。
神が存在するのならば、番のものたちを全て焼き払って、この星を浄化して欲しいです。 これからも自分の心を見つめながら、ブログを続けて行こうと思います。いつもコメント有難うございます。

Unknown (通りすがり)
2006-10-27 00:05:42
反感を買うことを承知で。
番と言えども、心の底で孤独を感じている人間もいる。
あなたの文章に妙に共感できるのも、そこに感づいているもう1人の自分が、居るからなのかもしれない。

通りすがりさんへ (hashigotan)
2006-10-27 01:34:38
番の者であっても、子を成せないまま、孤独を感じる夫婦も居るでしょうし、
いつかは連れ合いが病に臥して、一人に帰るかもしれません。
俺はこのブログで自分の本質に沿って、ありのままの心情を綴ってきましたが、 こんな孤独な俺を踏み台にして 今の自分の状況に有難さを感じる方もいるかもしれません。
どれだけ愛されようとも、死ぬ時は一人だから、 ならば最初から愛なんて無くてもいい。愛もない、感情も持たない、そんな世界を、心の底では 願ってやみません。


ただいまコメントを受け付けていません。