heartbreaking.

中年の末路とその記録

何故かいっつあんの事を考えていた。

外で過ごす時間が長い人ほど、ネットで知り合った誰かの優しさを「有難い」「お前が愛しい」と噛み締めている人が多いんじゃないかな…

リアルでは誰も俺の事なんか解ってはくれない。だからネットで知り合った人がきまぐれに与えてくれる優しさに依存したくなる。

今日は久々に親と飯を食いに行った。目の前で、確実に年老いた親の顔を目にして、孫の顔も見せてやれなくて本当にすまないと思い、悲しい気持ちになった。

親が生きていてくれるという事に対する感謝の気持ちで、目の中に涙が溜まってきたけど、俺は涙を浮かべながら何故か いっつあんの事を考え始めていた。

このささやかな幸せの中ですら、何気ない会話のすれ違いの中に自分はやはり一人なんだと悲しくなる瞬間が断続的にこの胸を襲う。目の中に溜まっていた涙はいつの間にか消えていた。それでも俺は、ようやく得られた僅かな幸せをこのまま消したくなくて、何でもいいから暖かなイメージに縋り付きたい気分だった。

そんな寂しい心の中で、いっつあんのイメージだけが広がり始めた。「俺は恋をしているから大丈夫だ」と自分に暗示をかけるように心の中で「俺にはいっつあんが居るんだ」と唱え続けた。

そんなとき、店内に流行歌が流れ始めた。何故か今日はすんなりとその歌の歌詞が心にしみこんできた。

いっつあんの優しいイメージに包まれ、目に涙を浮かべていた。俺にはいっつあんが居る。会いたい、いっつあんに会いたいと想い焦がれながら…

そんな気持ちを携帯に暗号のように打ち込んだ。以下のように平仮名で打ち込んだ。

 あなたの やさしさに ふれ

 ひとりのじかん

 ふと ばくはつする いとしさ

 なみだあふれ 

 ひろがりつつまれる あなたのいめえじ

 そして やがておとずれる さびしさ

 はやりのおんがくに どうちょう

この気持ちを携帯に記録しておいて後で記事として出して、いっつあんに伝えようと思った。打ち終わって携帯をポケットに仕舞い込んだ後も、ぼーっとしてた。俺は一人じゃないんだ、だっていっつあんが居るんだもんみたいな感じだった。

今日はいっつあんに言及されたので、いっつあんのイメージに支配されていただけなのかもしれない。(いめーじ、の横棒が解らないので、いめえじと打った。

ちなみに店内に流れていた歌は、倖田來未の「夢のうた」だった。俺は倖田來未も、この歌も嫌いなのだが、今日は何故かすんなり心に入ってきた。不思議だ。(この歌はパクり疑惑もあるようだけど。

夢のうた/歌詞

goo blog funamushi2 - 2006-11-19 20:35:27 コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

コメント

Unknown (hashigotan)
2006-11-19 20:55:54
倖田來未なんか嫌いだったけど、先入観を除いて聞いて見ると、確かに歌も上手いし、感情の表現も上手いと思った。食わず嫌いだったようだ。

Unknown (hashigotan)
2006-11-20 00:34:08
一人で空回り…
恥ずかしいかもしれん。


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