トラウマから逃れるためには、己の内部心情をアウトプットするための思考錯誤を「自発的に」すき間無く、よどみなく、繰り返すことが大切なのだと感じた。
己の内部心情について思考錯誤を繰り返している時間には「真なる絶望」はやってこない。俺の場合だと、性的虐待の苦しみについて考え続けることが大切なんだ。
それより何より怖いのは、何も代わり映えのない怠惰な繰り返しの中にあるのだと気付いた。ゲームのコントローラー握って敵を倒し、レベルアップに励んでいても、俺はゲームの事ではなく性的虐待の体験についてばかり考えていた。俺がゲームに「没頭できない」というのは、そうゆう意味だったのです。
むしろゲームをするより、ブログで公開するための文章を考えている時間のほうが、過去の記憶に悩まされる事がない。…考えることが大切なんだ。思考停止した時点で、俺は過去の記憶に押し潰されてしまう。
この苦しみについて「自発的に」継続的に考え続けることによって、過去の記憶がこれ以上肥大化するのを食い止めることが出来るんだ。思考停止したら俺は死ぬ。何でもいいから考えて、Windowsのメモ帳にどんどん、この思考をアウトプットするんだ。ブログで使う使わないは関係ない、とにかく吐き出せ、よどみなく隙間なく、時間を「アウトプットする為に試行錯誤する時間」で「埋め尽くす」んだ。
「パソコンから離れたほうがいい」
そんなわけないだろ、パソコンから離れたら鬱病患者はもっと鬱状態が酷くなる。性暴力の被害者は、もっとトラウマが悪化する。それよりパソコンの電源をオンにしろ、そしてメモ帳でもワードパットでもいいから、そこに思考をアウトプットし続けるんだ、そうしていれば、少なくとも、過去の記憶に今の自分が押し潰されることはない。
自発的に考え続ける姿勢に意味があるんだ。
考えることを放棄した時点で俺は、過去の記憶によって生かされているのではないかという不安に押し潰されそうになる。そうじゃないんだ、俺は考えている。俺が選んでいる人生なんだと実感できるまでキーボードを叩き続ければいい。
goo blog funamushi2 - 2007-01-21 18:38:55 コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
コメント
こんばんは。 (noah)
2007-01-21 18:56:11
お久しぶりです。
少し違うのですが、
僕は、文章を書いたり何かしたりしていると、その考えから、考えたくないものまで橋ができていて、いつの間にか渡ってしまっています。
だから、僕は何も考えない時間をよく作ります。
ほんとに何も考えないんです。
気づくと、一時間くらい過ぎていたり。
そうすることによって、ちょっとでもいやなことを考える時間を少なくしています。
Unknown (蜜)
2007-01-21 22:41:24
ゲームでもレヴェル上げになると、“作業”になりますもんね。
単調な作業だと、意識で制御出来ない記憶や想いに流されそうです。
自分の中で堂々巡りになるよりは、hashigotanの言う通り、アウトプットして形にして、それを完膚無きまでに料理しつくした方が、効果的にいろいろなものと向かい合えそうです。
いつもhashigotanのエントリを読んで思うのですが。
現実逃避や、自分自身から逃げ出す人が多い中で、“戦う生き方”を選んでるhashigotanの強さに圧倒されます。
それが、例え、そうせずには居られないんだとしても……強がりだったとしても。
そういうhashigotanに惹かれて、こうしてお邪魔し続けてるのかも知れません。
でも、“強くなきゃhashigotanじゃない”って訳ではないので。
疲れたら、休んでください。
弱音を吐けるのも、きっと強さのうちですしb
noahさん、こんばんは。 (hashigotan)
2007-01-22 00:54:17
文章を打っていると、それをエントリーとして完成させる為に、 一つの思考から派生して生まれた新たな思考を掌握するために、そこに向かって伸びる橋を渡らなければならない時がありますね。
それが議論を複雑化させるきっかけになって、自分や他者を苦しめる結果になろうとも、記事を完成させるためには、その派生して生まれた新しい世界にも勇気をもって踏み込むかどうかによって、その記事の水準が上がるか、それとも停滞したままで終わるのかが決まるんだなと感じます。
俺は自分にとって未知の場所にはあまり踏み込まない、というか知識不足もあって踏み込めないので、例えばヤフーの著作権問題についてもほとんど傍観者の立場に終始しているのですが、そこら辺の問題についても前向きに考えるnoahさんの姿勢は見習うべきものがあるなと感じています。
でも確かに、完全に無になる、心を空っぽにさせてリフレッシュするイメージを定期的に行うということも大切なのかもしれません。俺もたまには努力してみようと思いました。
コメント有難うございます。
蜜さん、こんばんは。 (hashigotan)
2007-01-22 00:55:54
俺が言いたいけど上手く言葉に出来なかったことを簡潔にまとめていただいたような気がする… 蜜さんの言うとおりの状況です。
単調なくりかえし作業の中に身をゆだねていると、自分の意識のすぐ隣にトラウマとなっている出来事が現れて、絶えず俺の精神に脅迫を入れてくるような状態になるんです。このままでいいのか?って俺が俺に問い詰めるようなカタチになったりとか…
それは性暴力の被害者に限らず、引き篭もっている人や鬱病の人でもあるだろうと思うのですが… 精神がトラウマに縛られて、いつまでたってもその地点から自立できないでいる自分への危機感から派生したもう一人の自分が、自堕落な自分を責めている部分もあると思います。
ゲームのレベルアップをしながら気付いたことは、過去の記憶を打ち負かせるまで自発的に考え続けることが大事なんだなという事でした。
こうして蜜さんや皆さんに話を聞いていただき、声をかけてもらうだけでも、俺はかなり救われています。言葉にしなくても、蜜さんがかなり重い過去を重層的に抱え込みながら生きていることはいつも感じています。だから俺が言葉にしない部分までいつも読み取ってもらえるのが凄く嬉しいです。
Unknown (一読者)
2007-01-22 16:31:46
過酷な運命と、孤独に、果敢に、闘っているからこその深さを感じました。
ああ、そういうものなのか、
そうにちがいない、
と思いました。
克服するまで
考え続けられますように
一読者さんへ (hashigotan)
2007-01-22 16:50:47
ブログを持ってからは、「精神科に行ったほうが良いのではないか」と励ましてくれる読者も多かったので、俺も受けられるサービスは素直に受けたほうが良いのかなと考えもしたのですが、
PTSDという症状が自分の記憶との戦いである以上は、結局回帰すべきは自分の心のうちであり、自分しか解決できないのだと感じるので、現状のままで、なんとか普通の人たちと同じように社会の中で生きてゆきたいと努力しているところです。
そういった日々の中で、ゲームをしたりするような、ちょっとした遊びをうまく取り入れてゆけば、少しずつ普通に近付いてゆけるんじゃないかと感じています。
時々、怒りをぶつける方角は間違えてしまうのですが、自分自身との戦いである以上は、逃げないで自分と対峙してゆきたいと考えています。
励ましていただいて有難うございます。
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