heartbreaking.

中年の末路とその記録

「生理がない」ことで祖母に人間扱いされなかった記憶

私が高校3年の頃、母方のおばあちゃんの家で「生理」の話になったときに、私が勇気を出して「生理はまだない」と打ち明けた途端に、おばあちゃんの態度が急変したのは驚いた。おばあちゃんのふくよかな菩薩の顔が、悪鬼のような顔に急変したからだ。

「生理がない?それは大変なことよ、それは大変なことなのよ、どうするの!女の子が生理がなくてどうするの!」

…と、ものすごく怒られた。いや、怒られても、私にはどうすることも出来ないので、かなり傷付いたし、ものすごい嫌悪の目で見られたのもショックだった。

女として認めてもらえない、いや人間としてすら見られていないような、そんな冷たい侮蔑の視線を疑いもなくぶつけられ、私は涙目になったが何も反論できなかった。その後もおばあちゃんは私に向かってかなりヒドイ言葉を立て続けにぶつけてきたのだが、あまりにもショックだったのでそれ以上は覚えていない。

ゴーッと音がして、おばあちゃんの息子がトイレから出てきて「もう止めなよ」と、おばあちゃんの怒りを止めてくれたので、私はズタズタに引き裂かれた心のままに、その息子に向かって苦笑いを浮かべるので精一杯だった。目には涙が浮かんでいたのだが、おばあちゃんはそんな私にはおかまいなしのようだった。

自分の力ではどうしようもない身体的な欠陥について、疑いもなく正義を振りかざしながら攻撃されてしまったことで、私は女としての自信を完全に喪失してしまった。

その日から、私のおばあちゃんを見る目は一変した。生理がないからと人間扱いされなかったことに対する怒りが日に日に強くなり、何で私には生理がないのだ?とノイローゼ状態のままに、友達の肉付きのいい体を見ては嫉妬し、お風呂に入るのも嫌になる毎日だった。

女友達は「生理で腹が切り裂かれるほど痛い」「あー、死ぬぅうー」とか、生理の苦しみを私に伝えてくるのだが…… まさか自分は高校3年生にもなって生理がないとは言えず、私には何も語るべき言葉は見つからなかった。

男女共学であるにもかかわらず、男と浮いた話もなくストイックに生きる私の姿に、何名かの女性が好意を持ってくれて、ふざけて抱き合ったり、「付き合うのか」ってくらいのイイ雰囲気になることも多かったのだが、私は身体的な事情もあり、一歩を踏み出すことが出来なかったのだ。

相手の女性が私に好意を持ってくれていることは気付いていたし、私がその子の服をはぎとって、もう一歩踏み込むのを待っていたことも気付いていたんだ。だけど生理も来ない幼児体系の私は、愛する人たちに同性として嫌悪されたくないがために、伸ばしかけた手を引っ込めては、自分の存在意義を何度も問う日々だった。

同性で女同士だからこそ、体の異常に一目瞭然で気付かれてしまうのが怖かった。

同性を心だけではなく体全体で愛したかったからこそ、本当の女らしい肉体が欲しかったんだ。胸の大小の問題ではなく、私には致命的な体の不備があった。…生理がないからだ。

20を過ぎた頃、治療の甲斐あって、便器にチョローン… と初めて紅い血がたれ流れてきたときは感動した。これが生理というものなのか… 本当に私の女性器から出てきたのか、と感動した。

20を過ぎて、ようやく私は自分が女であることに自信を持てるようになったのだ。

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