heartbreaking.

中年の末路とその記録

文頭から文末まできっちり読破することはほとんどない

俺が追いかけているブロガー達が、かつての輝きを失い始めている。昔ほどの面白さはない… という人がほとんど。

で、新しいブロガーを見つけようと努力しても、自分の心に気持ちよくフィットする人はなかなか居ない。つまらない拘りが鼻についたり、若造が偉そうに… と腹立たしく感じたりで、気持ちいいなと思う人は居ない。

俺は別に誰のことも本心からは興味がない、結局自分の文章が一番好きで自分しか見てない。一匹狼でいい、馴れ合いすぎると自分の個性が殺される。それに他人の事情に歩みよるのも面倒臭い。考えてもどうせ解んないし、うわべだけになるなら何も言わないほうがいい。だから今はほとんど他人のブログでコメントはしてない。

今は皆がアウトプットに意識を持っていってるから、そのアウトプットだらけのネットの世界で、じっくり文章を最初から最後まで読ませるっていうのはかなりのチカラ技を必要とする。おい、お前ちょっと待て。そこに座って俺の話を聞け… と相手を画面の前に引き止めることすら難しくなってきた。

皆、自分を見てもらいたい、自分の意見をアウトプットすることに必死だよ。

一斉を風靡したブロガーがだんだん落ち目になって風前の灯になってくのをいくつか目の当たりにした。俺もそろそろやばい。

ネットから消えたブロガーを何人か見てきたが、彼らは何も理由を告げずにポッと、ある日突然姿を消した。あんだけスゴイ文章打ってたのに何で丸ごと消すんだよ、せめて過去ログは残しておけばいいだろ。

ぶっちゃけ個人ブロガーの文章読まなくても、貴方も俺も何の問題なく生きてゆける。

このブロガーがいてくれないと俺は生きてけないってくらい熱狂的な信者になれるカリスマ性あるブロガーなんてほとんど居ない。ネットでどんなに文章打って有名になったって、更新し続けなければ、苦労して築き上げた名声も泡のようにパチンと弾けてきえてしまう。だけどそんな不確かなもののために、現実世界の貴重な時間を割いてカタカタ打ち込んでる。

何かを残そうと俺なりに必死に足掻いているんだろうな。俺が消えた後も、「嗚呼はしごたんって面白いブロガーが居たな」と思い出してくれる人が居れば、俺はその人の心の中で生き続けている。

何かを残そうとするのは、物理的に、目に見えるものでなくても構わない。むしろ目に見えないものを人々の心に残そうとすることに、自分がこの世に生きた理由・核心的なもの、人生哲学を残すことになる。

自分の大切なものを伝えられるのはせいぜい次の世代くらいまでで、その次の世代以降に移行してしまえば、子供を産もうが産ままいが、自分の存在なんて話題にも上がらない程度のものでしかなくなる。

思想を残すか、物体を残すか。自分の血を残すことに成功しても、自分の思想が誰にも正しく伝わらないまま生きて終わったんじゃ、それは非常に虚しい生き方じゃないか。

宗教的な見地に立って考えると、自分の思想をネットを介して広め・洗脳することで、多くの人間共の思考に影響を与えて死ぬ場合は、これは目には見えなくともかなり本質的に意義ある生き方を真っ当したと言えるんじゃないか。

目に見えるものばかり追い求めるのではなく、目に見えないものに意識を集中して悟りを開いたとき、はじめてこの世界に自分の実体が誕生するんじゃないか… 今の俺はカタチはあれどまだ不完全で、もしかすると俺にしか見えていない宇宙の中心で長い長い夢を見続けているんじゃないか…

悟りを開き、眠りから目覚めた時、俺は神にも仏にもなれる。なぁんて、自分なりの哲学を編み出して、それを猛進しながらストイックに生きるのも素敵じゃないか。嗚呼でもなんだか寂しい生き方だね、ほんとは人肌が恋しいよ。

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