heartbreaking.

中年の末路とその記録

自分の中での比重が変化してきた

また過去のことをぐだぐだ言いだしたけど、過去のことをわざわざ語りたがるのは生活に余裕がでてきた証拠かな。今は、自分好みの男性と結婚できて、毎日それなりに楽しく過ごしているので、過去のことをわざわざ掘り起こす必要もないのだけど。二人で居ても時々、理屈じゃない部分の、自分の内部での問題に襲われて何も考えられなくなる瞬間が多々ある。

そんな理屈じゃない痛みや悲しみを、二人で過ごす時間の中に降り積もらせていくことは、優しいようで、とても残酷だと思った。

幸せの中に窮屈に閉じ込められてしまった、過去の悲しみがあるからこそ、それを必要以上に言わないからこそ、今目の前にいる相手を心から大切に想えるのだと思った。

結婚するまでは、自分に何があろうとも、自分の両親の墓に線香を立てるまでは死ぬわけにはいかない。自分は最後はどうなろうとも、親が将来倒れたときは精一杯面倒を見て、それから死ぬんだと思って生きてきた。それが親不孝者だった自分に出来る唯一の親孝行なのだと信じていた。

でも結婚してからは、両親への想いよりも、これから人生を共に過ごす男性への想いのほうが強くなっていき、自分の中での比重が大きく変化してきたのを実感している。心が少し軽くなったというか、一人の頃は、自分の役目はせいぜい自分の両親の墓を立てるまで生きることくらいかと、そう思いながら生きていた。でも結局は、結婚することが一番の親孝行だったようで、私がこの先もずっと一人でさびしく生きていくのではないかと、私の両親はそればかりを心配して夜も眠れぬ日が続いていたらしい。親を心配させることが一番の親不孝だったのだ。

結婚して、今が私にとっての人生のピークのような気がする。いつ死んでも後悔はないのだけど、せめて自分がこさえた借金だけは完済してから死にたいと思う。・・・いやいや、まあそんな簡単に死にはしないだろうけど。つかどうせ死ぬなら俺を苦しめた連中も道連れに、だ。