heartbreaking.

中年の末路とその記録

孤独を捨て、人に頼ることで、どこかアンバランスな自分に・・・

自分の存在そのものが、誰かにとって迷惑である可能性が一瞬でも頭をよぎるなら、あなたは無の存在だった過去の自分を乗り越えて、無ではなくなった人です。

それでも悲しいかな・・・ 人はそれを得てしまうと、過去の自分の苦しみすら簡単に手放してしまう。想像することを忘れ、目の前にある現実がすべて、そう言い聞かせながら小さな不平不満よ消え去れとばかりに、その現実に没頭しようとする。

そんな小さな不平不満を抱えながらも現実に没頭する人たちは、自分たち以外の外の風景など気にもとめず、そこに無の存在があることすら気付くことはない。

はじめて気持ちのいいセックスができたこと・・・ 恋人ができたこと・・・ 結婚できたこと・・・ 子供ができたこと・・・

自分が解決できた問題を、いまだ解決できずに存在し続けなければならぬ人もいることを、心のどこかに気に留めておけば、自分の態度もおのずと謙虚になり、なりふり構わぬ傲慢さで無神経に他人の心を刺すこともなくなる。

もし無の存在のうちの一つの心が破れて、奇声を発する誰かが近くに存在したとしても、何故その人はそのようにオカシクなってしまったのか想像もつかないようでは、刺されても、理由も知らず死ぬことになる。

現実世界は、あらゆる光景がこの両目に無遠慮に飛び込んでくる、聴きたくもない声も何の断りもなくこの心に入り込んでくる。現実世界にまったくアクセスせずに生きることができない以上は、あらゆる想像力を持って、思いやりや気配りが重要になってくる。

だがネットの世界に入り込むと、なぜか、自分の人の悪さばかりがにじみ出てくる、検索窓に打ち込むキーワードも人の不幸みたさな言葉ばかり。Yahoo!知恵袋で、「浮気」とか打って暇つぶしをしたり・・・ 童貞や包茎も、非常に興味がある。あと自分が過去に経験した手術とか・・・

自分が苦労して乗り越えた道であるのに、その道を今まさにのぼろうと苦しむ人たちの姿を、おもしろおかしく観察してしまう自分がいる。

そして、自分は乗り越えたが、お前たちは永遠にその場所にとどまっていればいい・・・ と、まるで物珍しい生き物をひまつぶしに観察するように楽しんでしまう意地悪な心をうまく飼いならしてしまっている自分。

勿論、人の悪さばかりでのぞいているのではない。苦しみもがいた過去の自分の生き方の中で得た平坦ではない感覚を、まったく違う他人が今も同じように苦しむ姿を見つめることで、新しい器になってしまった自分の中に、もう一度過去の自分の強さが通いはじめる。

トラウマのように選択することすら不可能だった苦しみとは違う、その後の人生で自分が選択した結果のあらゆる失敗や経験は、もう二度と踏み入ることも願わない世界であるのに、つい、こじあけてみたくなる。過去の自分が苦しみもがいて垂れ流す蜜を舐めてみたくなる。

苦しんでいた頃の過去の自分を愛してしまったのか、つまり今の自分は実は自分自身愛せていないのではないか・・・

誰にも言えず孤独に苦しんでいたからこそ、そんな自分を両手でおもいきり抱きしめることができた・・・ 今の私は、人の体温をたやすく手に入れることができる、それは自分自身をこの両手でおもいきり抱きしめるしかなかった過去よりも、自分を手放してしまったことにはならないか。

人に頼ることで、満たされているようで、自分はどこかアンバランスになってきている・・・ あの孤独な日々の中にあった完全体な自分は、体は不完全でも、その病める心で完全な自分を確立できていた。その証拠に、病める頃の私のポエムの数々は一部の読者に誉められもした。今はもうそんなポエムは頭の片隅にも浮かばない。