heartbreaking.

中年の末路とその記録

伝えたい気持ちは… 手紙で

旦那と会話が途絶え、離婚かなと覚悟を決めるほどでしたが、最後に「手紙」を書いたのがよかったみたいで、旦那とは以前にも増して仲良く暮らしています。しばらく距離があいていたせいか、マンネリ気味な空気が一新されて、一緒にいられるだけで幸せだと思えるようになりました。

メールではなくて、手紙だったのがよかったのだと思います… メールならカチカチ打ってピッて送るだけで、その場の感情のままに一回送ってしまったらもう取り返しがつかないです。メンヘラーなら「死ぬ」「死ね」とか送ってしまうでしょう。それを受け取った側の気持ちが貴方に想像できますか…

ところが手紙なら、その場の感情のみに終わらず、一回書き終えた後で自分が必ず読み直しますから、そこで「変だ」と気づくんです。手紙ならば、受け取った側の気持ちに極めて近い状態で、自分の書いた文章をチェックできます。自分の文章が「変だ」と気づいたときに、「書き直したい!」と思いますよね… まず、変だと気づくことが大事で、そこから自分の考えを少しずつ変えていく作業が「書き直す」ということです。

手紙ですら、考えもせずに書きっぱなしで相手に渡してしまうような人ならどうしようもありませんが、少しでも「伝えたい」気持ちが残っているのなら、納得いくまで手紙を書き直すでしょう。

相手に伝わるように文章を試行錯誤するうちに、自分の主張を押し通すことしかできない文章の醜さを目の当たりにすることがあります。そういう醜い文章にあらわれる部分こそが、相手に嫌われる原因なのです… (手紙ですら素直になれず、体裁を気にするような人ならば、いくら手紙を書こうとも最後まで自分の持つ醜さに気づけませんから、もう打つ手はないですが…)

一度、普段は伝えられない自分の想いを、手紙にぶつけてみてはいかがでしょうか。ブログやメールに文字を打つと、綺麗なフォントで整列されてしまうので、醜さすらも、美しく見えてしまいます。ネガティヴな文章さえも、それを発した本人だけには美化されて映ってしまうのが、ブログやメールです。ですがそれを受け止める側の気持ちはどうでしょうか…

対して、手紙は、ネガティヴさをけして美しいものだけにとどめようとせず、血の通った文字が、書いた本人に問題提起してきます。何度書き直しても、醜さが消え去るまで、本当に相手に渡してもいいと思える手紙にはなり得ません。

私は旦那に手紙を何時間も書き続けました。怒りのままに自分の主張ばかり押し通す傲慢な手紙はもう、ごみ箱の中です。今頃、ごみ収集車が運んでくれているでしょう。