heartbreaking.

中年の末路とその記録

頬をぶって立ち上がれ

生活保護受給者や、うつ病患者について、意見をすれば「弱い者いじめだ」「弱い者を、さらに叩くなんてひどい」と思うかもしれない。

でも、その人たちは本当に弱いのかな。

自分の弱さを、人に(強引に、聞きもしないのに無理やり語って)認めさせた人のほうが、弱くて、守らなくちゃいけない存在なのかな。

本当につらいことは、働きたくもないのに、働くことだと思う。たとえ如何なる理由があるとしても、働くことから逃げた人間は「弱い」のではなく、ただ根性がないだけ。根性のなさを、弱さと履き違えている。

以前の私もそうだった… 結婚してからも、独身の頃に仕事が続かなかった根性のなさを、夫は気にかけていた(仕事がない=自分に自信が持てない=ネガティヴになりやすい、だから)。夫に「強くなってくれ」と何度も言われた。その度に私は心の中で「だって私は、普通の女とは違うんだもの… 私は過去に幼児虐待を受けた被害者だから」と心の内で言い訳して素直になれないでいた(でも働くことと、私の過去の被害は、シンプルに考えれば繋がっていない)。

なんでもかんでも、過去の被害につなげようとしているのも、私の弱さ… 強くなりたいとは思わない、だけど根性は必要だと思った。今の私が、仕事が続いているのは、すべて夫のおかげで「働かないで家にいていいよ」と一度も甘やかすことなく、求人情報誌を持ってきては「働きなさい」と、つい仕事探しを怠けがちな私に常にプレッシャーを与えてくれたからです。

発言小町などで、悩みをもつ主婦に、皆が「一度カウンセリングを受けてみては」のような助言をたくさんつけているが、そんなに簡単に、なんでもないようなことで、「自分はウツ病ではないか」と信じ込んで病院に行っていいものだろうか… それは病気でもなんでもない。

医者は、薬を出すほど儲かるから、ウツ病ではない、ただ根性の足りないだけの人間にも、薬を出す。自分の飲んでる薬の多さを、病気のひどさと信じ込んで余計悪化して二度と治らなくなる。だから私ならば、大事な人には「うつ病かもしれないから一度カウンセリング受けてみたら」なんて絶対言わない。

そんなことを簡単に言えるのは、その人のことをどうでもいいと思っている他人だけ。カウンセラーに何がわかるというのか、私と寸分たがわぬ人生を味あわせることができたなら、私に対して言える言葉のひとつもあるだろうが、私と異なる環境で育ってきた、たかがカウンセラーのになにがわかる。

誰も、私のことなどわかりはしない。親や夫ですら、わかりはしない。面倒臭いからだ、面倒臭いと思うのは、その人を愛していないからではなく、愛したいと思うから、何度もは聞きたくないだけで、愛している証拠に、黙って生活の面倒見てくれる。それで充分ではないか。愛していない他人は、黙って話を聞いてはくれない、お金をとる。お金をとって話を聞く人は、あなたの生活の面倒を最後までみる覚悟はないから、本当にはあなたの話を聞けていない。そんな人にあなたの大切な人生をゆだねていいのだろうか…

浅田真央の「鐘」の演技の中で自分の頬をぶつシーンがあるが、まさにそれだ。今一度立ち上がり、自分の力で人生を切り開いてみようではないか(これは今一度、私自身を鼓舞する意味も込めて)。

人生長いので、一度や二度は、休息の時間も必要で、だけど、いつまでもそこにとどまっていちゃいけない。生活保護を受けた人は、いつかは社会復帰をして、それまでの借りを世の中に返していかなければならない。世の中はギブアンドテイクで、与えられるだけの人生など、許されるはずはない。働いて、少しでも社会のお役にたつことが、あなたや私の人生に輝きを与えてくれたなら、それがなににも変えがたい宝石ではありませんか…