heartbreaking.

中年の末路とその記録

リアリティーの欠損がウェブの抱える問題

自分のブログや文章を、死した後もウェブに残したいとか考えるまでもなく・そして選ぶこともなく、自分のほうからやがてブログを捨てる日がくるのだろうな… と薄っすら気付いた。だから、自分の死後にブログがどうなるとか、心配するまでもない…

ウェブ世界は自分が選択して存在する・しないの自由がある。居たくなければ、存在しなくてもいい。疲れていれば、お休みすればいい。

この先ズルズルと生きていてもどうせ変わり映えしない人生だけが横たわるのだろう。それに添い寝するように流れるであろう時間に操られる奴隷のような生活では駄目だ… 現実の自分が駄目だと思うし納得もしてない、それの発散場所として、自分に一番しっくりとくる場所がたまたまブログだっただけ。だから8年近く続いている。

でも、ブログは現実を犠牲にしてまで力を入れるものではないので… 今、傍にいてくれる人がいるなら、その人を幸せにすることが一番大事なことなんだ。更新しなくちゃ、とか、ああネタがない、とか思いながら大事な人と会話するようになったらもう終わりだな…
自分の中での優先順位について今一度考え直してみたい気分だ。

リアルの束縛から逃れるためのチョット都合のよい世界がウェブで、だからリアルの本当にヤバイ出来事はウェブでも見つからない。ウェブで得られる情報が真実で、ウェブにすべての答えがあると、本気で思っている人がいるなら、逆に自分に問うといい。本当に重要な情報を自分がウェブに流すかどうか、と。

文章で、どんなにリアリティーを追求しても所詮、リアルに勝てない、リアリティーの欠損がウェブの抱える問題であり、戦争や暴動で戦い血を大地に流すリアリティーと同等かそれ以上がウェブで可能でない限り、失うものも、責任も、リアルに敵わない、人々が血も流さず都合のよい部分だけを切り取って存在できるウェブ世界をどこまで信じてよいものか…