heartbreaking.

中年の末路とその記録

不器用で甘え下手なのは生まれ育った環境のせいじゃない…

正月も夫婦の会話は特にない… 同じ屋根の下に暮らしていて、無常だ…
ムナシサ感じながら「嗚呼、一人になりたい」 と宙につぶやく。この不満の原因はいくつかあるが、それを相手に伝えたからといって、相手にも隠し玉があるのは見えている… タマゴが先かニワトリが先かの議論に終始するのは、三年以上の結婚生活で想像に容易い。だから部屋で体操座りでずっと考えてた(正月なのに… 暗い…)

夫婦の会話がない、というのはよく聞く話で、相手にはいわなくても、一人で色々考えている… 会話がないというのは、=考えてないとか、=どうでもいい、=めんどくさい、…じゃなくて、色々考えまくっている結果、会話がないので、つまり会話しないのが最良の選択だと自分は思っている。あとは時間が解決するだろう… (果たして本当にそうだろうか…今回は例外かもしれぬのに…)

思い描いた温かな家族の光景から遠ざかる一方の、むなしさで無気力になる。自分自身から、そのように仕向けているのではないか… と薄っすら感じることすらある。不器用というか… 甘え下手というか… そういうのは損。でも甘えるのも、相手によっては嫌がられる場合もある、特に会話がない状況下で甘える、という暴挙に出るのは勇気がいる…

人付き合いに不器用な大人たちの心は、永遠に安息に包まれることなく、不幸だろうか… いや、不器用とか、甘えられないのは、職人的な匂いを感じる。だから単にその人の「こだわり」だったり、それが美徳であるというふうに、大人になってから自分が最終的に選んだひとつの生き方なんじゃないか、と思った。

人付き合いに不器用であることに、その人の生まれ育った環境が影響するとは思えない。不遇な環境の下に育ってもその後上手く他者と順応し甘える術を体得する人がいる、たとえば風俗嬢など。

自分が幸せになるために、時には人に甘えてみたり、器用にふるまう技術を、身に着けようと努力するのを放棄してきた結果、人付き合いに不器用になったのだ。言い訳はもうよそう。

不器用な性格ゆえに、愛を上手く得ることできない、それは不幸な人生の結果生まれたことだと決め付けて自分をさらなる不幸にするのは容易い。どこまでも悲劇のヒロインのように自分が逃げるために作りだした嘘(不幸な環境や人生によりこのように不器用になったのだ、的な…)に溺れて最終的には得られたはずの愛すら失うというのは馬鹿馬鹿しい…

不器用であることは自分が選んだ道なのだから、不幸とは思わず、それなりに生きてゆくしかないんじゃないか… いやむしろこれが美徳だと考えるなら、職人のようにその生き方を貫いてみるのもよいんじゃないか