heartbreaking.

中年の末路とその記録

いつでも綺麗に言語化できる人の意見が正しいのだろうか…文章がそんなに上手ではないから黙っていることしかできない人間もいることに気づいてほしい。

普段ネガティヴな感情を見せないブロガーたちも、何かの機会に個人的に関わってみると病に倒れて手術を経験していたり、障がいに苦しんでいたりといったケースを後になって知ることが多かったです。私のように文章で苦しみを見せている人だけが苦しんで生きてるわけじゃない。だけど人はそれでも理解してほしいと苦しみを文章にあらわさずにいられないことがある。

申し訳ないのですが、わたし自身、自分のメンタルコントロールをして生きていかないといけないので、あまりに鬱々としたブログは読んでいて苦しくなることがあります。感情の起伏、というレベルなら大丈夫なのですが、毎日欝だとちょっときついです。
読者登録してからずっと読んでるブログ、読まなくなったブログ - 接客業はつらいよ!(旧 ケイ・ソリューションズのお仕事公開日記)

私のブログも鬱々としたブログなので耳が痛いのですが、確かに鬱々とした文章は読んでいて疲れます。攻撃性のない鬱ブログはほとんどの人にとって無害ですからそっとしておけばよいのですが、ごくまれにそうした負の感情をベースに他者を攻撃あるいは説得しようとする人がいますのでそういうのは要注意です(私のことでもありますが…)。

この人はなぜネガティヴな文章を打ち続けるのか。あるいは、なぜ何かを論じるときに拒食症・自閉症などの特殊な病名を文章内に組み入れてくるのか、それが何を意図するのか、こちらに理解しろということなんだろうか。なんだかとても「しんどいな」と感じることは確かにある。

拒食症、自閉症、うつ病など、人はさまざまな精神的な障害に苦しみ、そのネガティヴな想いを文章として打ち込んでしまうこともある、最初は打ち明けるのに勇気がいるかもしれない、でも一度でも出してしまえば徐々にそのことには抵抗がなくなってくる。

文章で苦しみを吐き出し、それが綺麗に機械化された文字で画面に表現されているのを目にしたときの恍惚と得られるえもしれぬ快楽、そして読者が付くようになれば自分のネガティヴさに自信を持つようになる。
そして自分のネガティヴを脅かすようなネガティヴを見つけて嫉妬するかもしれないし、ときには排除したい気分に苛まれるかもしれない。

精神的に病んでいる人はいつまでも同じところで思考がループするので文章が異様に整っていることがあるらしい。(私への言及でそんなのを見た) 文章が整っている人がネガティヴな思考を吐き出せば、それはあたかも芸術作品のように画面上に顕れる。それが危険な魅力となり、通りすがる人の心を爪で切り裂いてくる。にんじんさんの文章がそうだった。

俺は言語化能力がさほどではないので他者を死に追い詰めるほどに至らないだろうが、仮に言語化能力に長けたものがネガティヴな思考を根底に抱いたままで正論をふりかざして他者を追い詰めたならばそれは文章を用いた殺人行為へとつながる可能性もあるのではないかと俺は危惧している。

皆が「苦しい!」と思う気持ちを上手く言語化できるわけではなく、どんなに苦しくても結局わけのわからないような文章しか打てない人もいるとおもう。だから文章が上手な人が必ずしも正義とも言いきれず、言葉にならない人たちの心の声にもっと耳を傾けてほしい。

うつ病という漠然とした病名よりは、より具体的に拒食症、自閉症… といった症状名をふりかざしたほうが読み手には、その文章の打ち手がどういった苦しみを持つのかイメージしやすくなる(拒食症、自閉症が悪いと言っているわけではなくて論じる際に用いるのは奇妙だと言っているのだ)

自分は拒食症や自閉症などに過去に苦しんできたのであるから、その苦しみによって得ている全能感を用いて、正しい道へと皆を導くことができるのだという考えの下に、自分ならば誰に対してもどんな問題に対しても意見する権利がある(なぜならば拒食症や自閉症などで苦しんだ過去があるから!)…ということであるのなら、その正論の蓋を開けてみれば中身はただ自分がこだわり続けている過去・現在の苦しみの発露でしかなかった…… ということにもなりかねない。

俺も反省しているのだけど、自分が過去にどんな不幸を経験しているからといって、だからといってその経験をしたことで全能感を得たように勘違いをしたままで、自分以外のどんな人に対しても正しい意見を言えているのだと勘違いしてはならないとおもった。自分が過去の苦しみによって得たように感じている全能感によって導き出された正義など、この世界に漂う微粒子よりもはるかに多く存在する様々な人の感情の前にあってはあまりにも不完全すぎる、実際の犯罪の前にあってはどんな言論から繰り出される正義も意味など成さない… だからお前の全能感から繰り出される正論など意味がないと俺は思っていて不快だと思っている。

たとえ似通う被害を受けた者同士であっても、感じ方まで同じなわけじゃない。いや、似通うからこそわずかでも異なる感じ方をあたかも同じ被害を受けた者全員の代弁者であるかのように振舞われると殺意を覚えてしまうほどその人のことを許せなくなる。

上手く言語化できる強者の意見に素直に従えない・聞き入れられない、文章がそんなに上手ではないから黙っていることしかできない人間もいることに気づいてほしい。