heartbreaking.

中年の末路とその記録

一人で年間150万を食費に突っ込む馬鹿がどこにいるんだよ…(底辺の意見)

先日、あるブロガーの記事で、たった一人で年間150万を食費に突っ込む… っていう信じられないタイトルを目にしたために、それが頭に突き刺さったままで、仕事行く前に一気にやる気なくしていた。結構やばかったな…… まさか、タイトルだけで人の命を奪うようなことがあるなんて、ネットの文章あなどれない…

あの人は… リアルでもネットでも揺ぎ無い地位を築いているというのに、底辺を痛めつけてなにが面白いんだ… 家を出る直前まで苦しんだし怒りを感じていたが幸い、職場につけばそんなことは忘れていたし、帰りにマックで食べて、セブンイレブンでお菓子を買って帰ったら、もうどうでもいいくらいに落ち着いていたけれど…

時給もたいしたことない、底辺で生きる俺の贅沢は、ごくたまに知り合いと回転寿司を食ったり、マクドナルドでくつろいだり、コンビニでドーナツを買うくらいです…

それ以上の贅沢は特に必要とはしていないことに気付くと、別に腹をたてるような問題でもないことに気付く。

おめーが努力しないからそうなってるだけだろとか、大して働いてねえから時間はたくさんあるんだろと思うかもしれない。でも自分感覚では、そういうわけでもない。働いてなくても、さばの缶詰しか食えなかったりすると、いくら時間があっても意味はなくて、とても生きているとは思えなかった。

恐ろしいことに年収が少ないからといって、時間がたくさんあるってわけでもない。俺の経験上、ただの高卒で特に技能がないばあい、けして時給が高いとはいえない単純労働のために遠隔地まで移動して一日のかなりの時間を(通勤時間もふくめて)拘束されることもある… 単純労働の恐怖は頭をつかわないままに同じ作業を繰り返していることで、自分は考える頭があるのになぜか同じことしかしていないのがとても恐怖です。ラクだけど、そういう問題じゃないような気がする。そのままスーッ…と消えちゃうような感じ。頭を使わない仕事って、怖いよ…

己の能力に見合った場所での努力はしているけれど、世の中は年収ベースで大人の価値を判断しようとするから、そんな社会の中で、金の話になればどうにも卑屈気味になりながら影のように生きてくしかない…
でも年収などの話をリアルでは相手に面と向かっていうことは庶民の間ではあまりないとおもうけれど、ネットでは年収の多い人らの声が大きくなりつつあってそれがまるで当たり前のようになりつつあるから、底辺に甘んじるしかない人間の心を傷つけてしまっている。金・リアルの地位・ネットでの読者数で上位にいる人たちに対し、なにくそ、俺だって負けるもんか!と思える人なら良い影響なんだろうけど… そんなふうに強くなれない。
承認欲求すら満たされないままに、ネットの上位の人の意見をただ見ているしかできない底辺の心を想像したことがありますか… ネットで上位にいる人らの気ままな意見によって、なにもない人たちは自殺や殺人へと想いが動いてしまうかもしれない。俺だって、あの年150万も食費だけに突っ込むっていうタイトル見た直後は絶望して、もう仕事なんて行きたくないって思ったし、めちゃくちゃ傷ついたよ。相手がどんなにスゴイ人なのかは知らないけど、ネット上では皆が一律に並列に並んでいるように思わせる罠があるから余計に自分のちっぽけさに気付かされて、なのに嫌なブロガーの名前がずっと頭に突き刺さっていて最高に不快だったよ……

俺はずっと田舎暮らしだから、都会の様子はわからないけど、たとえば一般事務員であると田舎の給料では手取りで15万も稼げるのはかなり優秀なほうで、だいたいはそれ以下となっている。そうなると、たった一人で一年間に150万もの金を食費に使うような生活は当然ながら無理となる。

また扶養範囲内で働かざるを得ない主婦は、第三号被保険者のメリットがあるとしても、逃れられない家庭の雑用プラス、外での労働となるので、結構しんどいし一年間で150万も稼いでいない。でもそういう主婦のパート労働が社会の下支えとなっている。

それに、職を選べない人だっている。履歴書で判断されて終わることもある。でも派遣で勤めていると、履歴書をいちいち就業先の企業に見せなくても済むから、それで派遣でしか働けない状況のために年収が極端に少ないケースもある。

そして俺はというと、よく稼げるときでも派遣で時給が1000円まで止まりで、それ以上は稼いだことがない。夜勤だと深夜割り増しでもう少し時給が増えるけど。年収はとても恥ずかしくて言える額じゃない感じです…

色々言ったものの… でも、自業自得なのだろうなと思うことが大半で…

でもそれだけじゃないような気もしている。

俺は自分の努力が足りないから駄目になったんだと思っていたけど、でも過去の一つずつを丁寧にたどってゆくと、すべては必然的につながっていて、自分がそうなるべくしてなったということに気付く。

何事も、原因があるからそうなっているわけで、成功者の人から見るとたんなる甘えにしか映らないかもしれないんだが、そんなことはないとおもう…

ニートも生活保護も、そして俺のようにずーっと借金があって底辺なままの人間も、それぞれの過去を丁寧にたどると、そこに至る原因となる理由があるのだ。

その一つ一つを他人に説明することなど到底不可能であるため(本人もだんだん忘れてゆく)他人には誤解されたままで生きることになる。

たとえば年収などのような結果がすべてのように思える世の中では、年収が少ない人間は言外に駄目烙印を押されてしまっているような気がしないでもない。

まあ、あの人の記事は色々考えさせてくれた。別に好きでも嫌いでもないし、応援もしていない。