出先で、GIGAZINEのこの記事で知ったスイーツを、GWの贅沢として買って食べてみた。味は別段驚くほどでもない。モヤンとしたムースが口の中でほわわーっと溶けてく。うーん、金の無駄だったな…… でも、あざらしのアホ面見て、嫌なことも飛んでった(一時的に)。
この穢れなき、つぶらな瞳を壊す喜びみたいなのがあった。こんなの一瞬やで。
あまりにも弱弱すぎるので、店員がかなり気を使いながらレジ袋に詰めてた。
日々蓄積する、精神的・肉体的な疲労感の、克服方法は、毎日コンビニに寄ることかな。
自分は、食いたいものをある程度の額までは自由に選べるという解放感の中でストレスが昇華されてゆく。
どんなにストレスが溜まっていても、美味しいものを食べていれば、挫折せずに生きていられる。食べるものがないのが一番つらいことだと思っている。
仕事が終わり、嗚呼、なんだか自分らしくない、今日も疲れたなと感じつつ、ふらりとコンビニ店内に入る。運が悪いと、店員が激しい音を立てながら(こいつ……なんかストレス溜まってんのか…) コンテナを扱っているので少し落ち着かないが、目新しい商品が、この沈んでいた気分を浮上させてくれる。
店内をうろついた最後にたどり着くのは菓子パンコーナーで、どれも大した値段でもないのに、かなり迷う。ヤマザキパンは体に合わないので避けている。フジパンが素朴な味わいで好きなので陳列を増やしてほしいが、フジパンは「大手コンビニエンスストアと資本関係が無い」らしい。(サークルKサンクスには陳列されていた)。
和菓子にも言えることだが、その業界のトップが生産する商品よりも、マイナーな会社名の生産する商品のほうが素朴な味わいがする。だからマイナーな会社名の作るパンや和菓子しか、あまり食べる気がしない。必ず商品の裏側の記載を見る。
買い物は、スーパーのほうがお得だが、時間帯によっては子連れの主婦や、妊婦が多く、余計疲れることになるので……だからコンビニへ行くほうが多いかな。騒がしいのが好きじゃないので。コンビニは孤独な者や、疲れている者にとっての聖地なので、子連れや妊婦はなるべくスーパーに行ってほしい、自分の領域を外れて行動すれば、それが誰かの精神の安寧を妨げることになる。誰もが家庭を持ち、暮らしてゆけるわけじゃない。
疲れてるときは、歯を磨かずに寝てしまうので、歯が痛くなってきた。だけど今は、借金返すために、無保険状態で働いている状態なので……(俺の存在そのものがグレーゾーン) 例え歯がなくなったとしても、借金を無くすまでは、社会の歯車から外れたままで、グレーな中で働き続けるしかないと思っている(真面目に就職しても、保険料引かれるばかりで借金など減らせない)。
働いて帰った後は、風呂入ってメシをたらふく食って、しばらくボーッとしてから、疲れがピークに達したらベッドに入り込んで瞳を閉じる。
嗚呼、自分って損な生き方してるなと思うこと、ないですか。底辺は底辺を怨む。けしてその怒りが、金持ちに向かってゆくことはない。
俺は今は病院には行けない。扶養範囲内で働く主婦は、保険料を自分が払わなくても医療費が三割負担で済む。その権利に矛盾を感じていても、それは国が保障しているので、誰も異を唱えることなく社会全体が受け入れている。
(2016.05.05追記:10月から従業員501人以上の大規模な企業においては、年収130万以上のパート主婦は保険料を支払うことになるらしい)
部屋スレを見ていると、生活保護受給者なのにパソコン周りの充実している信じられない写真もあった(アニヲタは別に悪くないのだが、ナマポで堂々としているところに、世の中の異常さを感じる)。このような矛盾もあるので、苦しんでいる人間が、平等に国に救われているわけじゃないことがわかる。救いを求める行動すら起こせない、そんな気力すらない人間がいる(俺)。
苦しんでいるのだからこれだけの保障は受けられて当然だと言うような人々を、役人は窓口で追い払うくらいの気概を持って厳しく精査してほしい。それが、底辺間においての、平等につながる。皆が苦しんでいるのだとわかれば、そういうものだと納得しながら生きられるが、たった一人でもズルをしてラクをして生きている人間がいるとわかった途端に、生きる気力を奪われることもある。
救いようのない状況の中、自殺か、あるいは無差別殺人か、究極の二択を迫られることなど、底辺で生きる人間にとってはほぼ日常茶飯事で、なにが追い詰めるのか、それは自分を取り囲む、まわりがそうさせる。誰かの笑顔が、不快なこともある。俺は楽しくないからだ。ネットで輝いてる人間だって同じように不快になるときがある。俺は楽しくないからだ。
暗い気持ちだ。音楽も聴かず、無音の中で、ネットのどうでもいい情報ばかりをアホみたいに検索して、時間が過ぎていた。
どういう情報を検索するのかというと、部屋スレを見ていることが多い。
成功者の自己啓発文には興味がない。疲れている俺を癒せるのは、本当にどうでもいいくだらない情報しかない。誰かの汚部屋の写真を見る。その次にゴキブリに興味を持ち、それについてばかり調べはじめる。
部屋スレを見た後は、賃貸情報に興味を持ち、ハウスメイトやアパマンなどで、どんな賃貸が出ているのかを調べて、その部屋写真を眺めながら、仮に俺がそこに住んでいたらどうか、という想像をして楽しむ。見るからに不便そうな間取りを見ると、それをどう工夫して住みよくするのか?まで考えはじめて、また時間が無為に過ぎている。
過去に自分が住んでいた賃貸マンションに空き部屋があれば、今でもネット上で当時生活していた部屋写真を見ることができる。嗚呼、こんなところに住んでいたなあと懐かしむ。
いま、そこにはどんな人が住んでいるのか、俺と同じように上階の騒音に苦しんでいるのだとしたなら、ちょっと話してみたい。自分と同じ賃貸の部屋に住んでいる人間とは友達になれる気がする。時間を越えて、空間を共有していたことになる。(YouTube - バイきんぐのアパートのコント)
そういえば、俺は今のマンションに引っ越して1年近く経とうとしているが、いまだに前の住人宛ての郵便物が届く。女の名前だ。たまに考えるのは、築年数の長いマンションの場合、誰か死んでるんじゃないかということで、そんな不安まで、大島てるを見ながら時間潰しの一貫に取り入れてしまう。
やりたいゲームが見つからない自分が、最近、はまっているのは、仮に自分がその状況にいたとするならば、どんな風だろうか?という、ありもしない想像を楽しむ時間で、結局のところ、想像するばかりで、何も実際には行わずに、時間が過ぎて、もうそろそろいい加減に寝て、起きたら仕事に行かないとな、という気分になったところで終わる。
肉体は衰えても、想像は、死ぬまで行うことができる。生きてさえいれば、いくらでも想像することはできる。いつまでも若いわけじゃないし、いつまでも活躍できるわけじゃない、その現実の中から自分を救い出せるのは、非現実でしかない。