俺はブログを2005年1月から開始したブロガーで、一応、古参ということになってます。当時は、はてなではなく、gooブログにいました。ほぼ毎日更新していた(その様子を文末にスクショで貼っておく)。とにかく一生懸命ブログをやってた。注目されたいという願望もあったし、忘れられたくないという恐怖心もあった。
いまいる場所は、三度目の引っ越し先だが、ブログを引っ越したことで、自分を個体認識させるために重要となるIDを失った(IDは、hashigotan でした)。
俺が過去に大暴れしていた内容を知る人も、だいぶ少なくなってきただろうけど、過去に伝説(?)があろうとも、今現在、価値のあることを言っていなければ読者数は増やせない。そして世代交代の波はブログ界に定期的に訪れる。新しい感覚の集合体によって、かつては輝いていられた人も、どんどん埋没してゆく。
最近あまり更新していないのは、中身の人が歳をとって、勢いがなくなってきたのもあるんだが、、そうなっているのは俺だけじゃなくて、長くブログ活動をしている方に共通して言えることだと思う。
がむしゃらに文章を打ち続けていた頃に、常に背中を追いかけてきていた「忘れられる恐怖」よりも、「失望される恐怖」のほうが勝っている。毎日更新している人気のブロガーを妬みながら遠巻きにツイッターから牽制していたつもりだが、俺だって毎日更新すればいいじゃないか……
俺は、文章を打つことが好きだったんじゃなかったのか……いや、伝えたいことが、昔ほど、自分の中から溢れてこないだけだ。
そして、ネット活動において、重要なことは、自分との同期がどれくらいの期間、一緒にがんばれるかどうか、ということであって、同期の中で尊敬していた方々が軒並みいなくなってしまうと、あとに出てくるのは、自分にとっては、よくわからない新参者ばかりとなる。
俺が知る、文章に対して職人気質なこだわりを感じさせるブロガーたちが、あまり見当たらなくなっている。
気難しい職人気質な人間ではなく、戦略的かつ器用に何でもこなす人物が好まれる時代になっていると感じた。その、根底に流れる感覚の差によっては、何を話していても、不快にしか感じないことも起こりうる。
俺は情報なんかどうでもよくて、共通する感性を分け合いたい、そういう関係を求めている。そのための架け橋となる話題こそが、「ブログ論」だったのだ。それらを、えっけんさんが上手くとりまとめていた。
10年以上前、laisoさん、fromdusktildawnさん、えっけんファミリーの皆さんなど、懐の深い人たちで、はてな界隈が賑わっていた時代があった。その人たちは金目的でもなく、アクセスに拘るでもなく、ただ自分の意見を述べているだけだった。
そして、意図せず、偶然に目に留まった、人物に純粋に興味を抱き、関わりを持とうとする。その繰り返しの中で、コミュニティの輪が自然と広がってゆく様子が、外側からも容易に感じられた。
しかし、ブロガー同士の関わり方は大きく変わってしまった。いまは、金やPVを求めるような発言ばかりにあふれている。
あなたは憧れのブロガーは誰か一人くらいはいるのかな。もし、いないのだとしたら、是非一人くらいは見つけて欲しい。
わかっているだろうけど、俺にとっての、一番の恩師は、えっけんさんです。俺の、「はしごたん」という名を最初に呼んでくれた人です。
……えっけんさんが、だんだん体調の悪いような記事を打つように変わっていっても、まさかそのあとで、もう二度と、えっけんさんの新しい文章が読めなくなるなんてことは考えもしなかった。
えっけんさんが北極星だみたいな記事を打ったこともあるけれど、今はもう夜空を見上げても、それはただの星でしかなくて、えっけんさんの輝きを追いかけることはできない。俺はなにを追いかけてゆけばいいのかもうわからなくなっているままに、いまはただ、恩師のいないネットの荒野を彷徨っている……
kanimasterさん、lstyさんなど、活動規模を縮小しつつも、まだブログ界に残っておられる方がいるので、そうした方々がご健在である間は、まだ俺にとっての、ブログは終わりにはならない。そして、finalventさんという大御所の存在も、長くブログを続ける自分をブログ界に引き留め続ける、引力となっている。
ブログの同期の存在や、尊敬できる人たちがいつまでも元気でいてくれることの大切さを、わかっていても、おそらく元気だろうという思い込みだけで解決してしまおうとする。そんな曖昧さの中で、たくさんの、かけがえのない人と離れてしまった……
俺にしかわからない、はてなの歴史の一部もあると思うので、また機会があれば語ってゆきたいと思う(わかる人にしかわからない話になりました)。
最後に、ブログ開始間もない頃、アホみたいに元気だった頃の俺のブログの様子をスクショで貼っておきます(スマホでは見れず、パソコンだと見れます) 。文末はいつもデス!マス!でした。