heartbreaking.

中年の末路とその記録

「世の中に底辺労働なんてない」と経営者ブロガーに言われても何も響いてこなかった自分

今年、職場を2度バックレて、部屋に引きこもってゲームしたりネット活動していた中年ですが、働かせていただける職場が見つかりました。

底辺労働と卑下しましたが、今まで生きてきた中で、一番良い環境だと思います。良き先輩に恵まれたことが、私の運命を変えたと思いました。

自分は、家に仕事を持ち帰りたくないし、資格を取るために勉強もしたくない。もっとラクに生きたい。だから、職場だけで完結するほうがよい。それが叶うなら、本当は体裁などどうでもいい。このままずっと世の中の影の部分でもいい……

仕事が終わると気楽だ。家では自由だ。メシ作って、ニュース見ながら寝るだけ。このような、ささやかな幸福感を得たときに、それを自分が納得しているのは良いのだけど。

底辺労働で得られるかもしれない、ある種の幸福感についてを、底辺ではない環境に生きる人に、わかったように言われると、反発心が生まれてしまう。

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会社の経営者になってる人に、こんなこと言われても何も心に響いてこなくて、否定的な返答してしまったけど……、さおりさんも過去に底辺労働の経験者なので、結果だけを見て、どうせわからないだろうと切り捨てるのも、なんだか悪い気がしてきた。

底辺ではない人の美談を許せないのは、自分が、このささやかな幸福感に、納得していないのか。なんらかの野心が燻っているのに、とことん保守的になろうとしている自分のことを攻撃されたように感じて不快感だったのか……

世の中の大多数は、使われる側の人間で、結果を出せなかったのは、努力が足りないわけではなく、良い出会いが得られなかっただけだと思う。

人間一人のチカラでは何もできない。チカラある者との出会いの大切さに気付き、そこから生まれる可能性を自分が活かせるかどうかだと思った。

成功の影には、必ずチカラある者の支えがあるに違いない。

社会人になってからは、それを活かすことが、成功する自分へとつながる、輝く道なんじゃないかと思えてきた。

ネット上で成功しているふうに見せている方々は、誰かの支えがあって今があることをあまり語らない傾向があるというか、すべてを自分の実力に見せようとする面がある。

底辺ではない人が時折見せるネガティヴな面すらも、雲の上の苦悩のようにしか思えなくて、素直に受け取れないこともある。

だけど自分の過去を見つめなおせば、肝心な人物とのつながりをおろそかにしたままで、ここまで歩いてきてしまった。それが、今の、一生上がれない人生へとつながっていると思った。

だけど、もう私は何も変わらないだろうなと思っている。

給料は、生活できる額があれば、それでいいです。

今年の前半は、バイトをしていましたが、仕事に呼ばれるのかどうかの、根本的な不安が常についてまわり、心が落ち着ける日は一日もありませんでした。

だから今は、休日は少なくても、シフトの中にきちんと自分が組み込まれていて、必ず名前があることが嬉しくて、心もだいぶ落ち着いている。

保険料等引かれると、おそらく手取りだとカツカツで、借金は減らないと思いますが、これ以上マイナスにならないだけマシだと思うことにします。

借金を減らすために、無理をして今をおろそかにしても、今の時間も大事だから、節約はしないで、食べたいものくらいは迷わず買いますし、恋もします。

自分がどこまで生きるかわからないのに、先のことまで考えてても仕方ない。

自殺願望を抱いてる老人になった頃、安楽死させてくれてもいいんだけど。

ちなみに、以下の記事を書いてもらって、さおりさんとは仲直りした。これは仲直りする前に考えていた記事となります。何でブロックされたのかは謎のままだし、私がさおりさんに犯されてる、エッチな表現があったはずなんだけど、、それは流石に削除したのかな……

わたしは自分に珍棒がついていないことが悔しいよ。ついていたら、四国に行ってはしごたんを抱きしめられたのに!
拝啓 はしごたん - 接客業はつらいよ! かんどーのよもやま日記!