最近、ディズニー・チャンネルに所々放送されている長編映画が面白いことに気付いたのでよく録画しています。
ベイマックス(2014年 アメリカ)
「こんにちは。私はベイマックス。あなたの健康を守ります」
前半はベイマックスの動作が、想像以上の癒しを与え、それと同時に笑いを誘ってくる。
私はただベイマックスの脚が短いゆえの可愛らしい歩き方、自分の図体のでかさを考慮した少し遠慮がちな身のこなし方、そして時々空気を読まないプログラミング通りの会話、それだけでもこの映画を最後まで退屈せずに観れるので、戦闘シーンはなくとも、ベイマックスの何気ない日常についてをもっと3Dアニメで観てみたい。
主人公ヒロとの心の触れあいの様子を美しい3Dアニメで表現している。日本人の見慣れた風景に心の何処かほっとしながら……
たとえばヒロとベイマックスが空を飛ぶシーンを観ていると、忘れかけていた子供の頃の純粋な気持ちを取り戻せたような気がして思わず涙が出てしまう。
優しいベイマックスを見続けていると、どんな危険が及んでも心の何処かではベイマックスがなんとかしてくれると安心していられる。
ゆえに、人の命を奪うために暴走している姿には胸が痛んだ。
この作品で密かに重要なこと、それは主人公達を育ててくれたのは実の母ではない部分であると思います。
ノートルダムの鐘(1996年 アメリカ)
「ノートルダム大聖堂の鐘楼に、20年間ずっと軟禁状態で育てられる(ノートルダムの鐘 - Wikipedia)」主人公が、一人のジプシーに恋をする話です。
彼が軟禁されている理由は、生まれついての容姿の「醜さ」に利用価値を見出した悪の最高裁判事によって心を洗脳されているからです。人々は醜いお前を傷付けるだろう、だから私の言うことだけを聞いてここにいるのだよ、と。
けれど彼は勇気を出して大聖堂から飛び出し、人々の中へ降り立つ。その彼を待ち受けていたのは、容姿に対する人々からの迫害だった。そこでジプシーの女に助けられ、人を愛することの幸せを得たのも束の間、彼女は彼のことをそのような対象とは見ていなかった……
……醜い容姿ゆえに、男女の愛を得られない。
けれど彼に救いの要素は残されています。
それは人々に、人間として愛してもらい、存在を祝福してもらえるという感動的なラストでした。
すみません、内容を書いてしまいましたが、己の醜さとそれによる何らかのかたちで行われる差別に人生の中で葛藤したことのある人に観ていただきたいディズニーアニメの傑作ではないのか?と私は思いました。
20年間の孤独に耐え続け、そうしてようやく出会えた奇跡の女性に愛されること叶わず、現実の苦しさに一気に突き落とされた時の……悲しみのシーンは涙を流さずにおれません。
「僕の幸せ何処に行ったの。もし今の僕を変えられるものなら、それは夢なのか」
オペラを盛り込んでいるので、慣れていない人には入りにくいかもしれませんが、20年程前のディズニーアニメの画風が魅力的です。
現代では特に嫌悪されるだろう「差別」を扱ったシリアスな作品です。
オペラ部分は、ミュージカル俳優も含め、すべて素晴らしく歌い上げています。
「神よ許したまえ。彼女は私のもの。それが嫌ならば炎の中に」
登場人物の中の、誰が一番魅力あるでしょうか。それは悪の最高裁判事フロローです。命を奪いたいと思うそのジプシーを愛してしまう意外な展開や、井戸に放り投げて殺そうと思っていた赤子の主人公を神の裁きを恐れて殺さず軟禁状態で最低限の食事は与えて飼いならしてきたところに、ほんの少し人間味も感じられて、なにより起伏に富んだ表情の変化に魅せられる。
私はこの二つの作品で素晴らしい時間を過ごしました。どんなに眠くても疲れていても、映画は観ます。観続けます。