heartbreaking.

中年の末路とその記録

基本的に暗い。

「夫の扶養からぬけだしたい(Amazon)」という作品を読んでみました。

Amazonの最近の評価は辛らつなものも多いです。

被害者意識がすごいです。(中略)外で仕事をすることがどれだけ大変なことなのか、知らないのです。

一人暮らしの者は仕事と両立し家事をこなしている。ただ主婦はそれが二人分や三人分に増えてくるのでそこがしんどいのはかつて主婦だったのでわかる(子供はいないけど)―削除-

夫婦でも、お付き合いをしている間柄でも、互いの収入は若干は気になりますが、なんの仕事でもいいので努力を続けている姿に尊敬できるのであって、なにもしていない人に対して尊敬などできない。同じ話を繰り返し要点をまとめられない人が「馬鹿」だと思い恋愛対象にすらなり得ないように、相手の中で「馬鹿」だと判断された時点でそれ以降は奇跡でも起こらない限り無理になってくる。それが夫婦だと家計を共にしているので特に「馬鹿」だと困る。この作中に出てくる主婦も自分がどれだけ夫に支えられているのかをよくわかっていないので夫を責めることばかりする。最近私も馬鹿に遭遇した。無駄話が多く同じ話をループしていたので「あんまり頭よくないなこの人」と思い、相手を楽しますことのできない自分本位の考え方をする人のようなので恋愛対象から外れた。

……今回お話ししたかったことは、「夫の扶養からぬけだしたい」の作品のことではありません。最近雨続きの中で、眠る前にいつも思うのです。ああ屋根があり雨がしのげる部屋にいて、ベッドで眠れる。その当たり前のことを感謝したのです。

それにしても、この無気力感は一体なんだろう。借金だろうか、それとも子供がいないことが原因なのかと思うこともあります。

いま独りで暮らしていて、ゴロゴロしながらたまに考えるのは、無気力感の原因についてなんだけど、体力の衰えと共に過去の相手を責める力すらもうなくなってきた。

子供がいないことについては、どうにもしようがない年齢になりました。世の子供のいないそれぞれの夫婦にも事情があると思います。

たとえば、子供を作ろうと自分からは言えなくなっている共働き夫婦がいるとします。子供を作ろうという提案は、長く共に過ごすほど、その言葉に重みが増すことを知ってください。けして軽い気持ちで、子供を作ろうなどと言ってはいないことを、どうか気付いて、否定しないでほしいのです。

元夫に協力してもらえなかった私が言えることはそれだけです……

いつの時代も、子供がいなくて強く責められるのは女性の側です。子供がいない理由は男性に問題があるケースがあることを、もっと理解してほしいです。

それは身体的な問題だけではありません。男性の性格に欠陥がある場合もあると思います。たとえば「夫の扶養からぬけだしたい」のように収入の格差により、まだ子供を持つことは無理だ、というようなことを言っていたのではいつまでたってもその日は来ないかもしれません。

そうして女性を家政婦兼、自分の生活を助ける収入面でのパートナー程度にしか思っていないような共働き夫婦の男性が多いのではないだろうかと推測します。そうした男性に都合よく利用されて終わる人生になるくらいなら、まだ独りで生きたほうがマシかもしれません……

世の中は、夫婦が離婚する場合必ずこう言うでしょう。「子供がいないからまだ良かったんじゃないか」本当にそうでしょうか。子供がいなくて、離婚をし、いきなり社会に放っぽり出された女性が、独りで生きてゆくことの大変さを本当にはわかっていない人達の非常に無責任な発言だと思います。

独身の高齢女性に対して国はなんのサポートもしてくれてはいません。仕事に出かける際に、幼子の手をひいて歩く主婦達を妬ましく思うこともあります。

お金のない私が必死の思いで働いてようやく得た給料の中から引かれている税金が彼女たちが子育てをするために一時的に扶養に入るための手助けになっていると思うと当然暗くなります。

私はただ自分の人生のレールを真っすぐ生きてきただけです。

政府が、年収の低い、独り者の高齢女性のことをまったく見ていなくて、子育て世代のことにしか関心がないのは仕方がないのかもしれません。政治家たちに子供を増やさねばという焦りが生まれるのは国を存続せねばならない使命感からであり、その使命感が私のように子供のいないで高齢化してゆく独り身の女を将来迫害しようとする嫌な想像までし、明るい未来など何一つ見えてきません。