heartbreaking.

中年の末路とその記録

文章は嘘だらけだ。求める人は何処にも居ない

真実に近いほど、嘘っぽい文章になる。良く出来た文章だと感付いてしまうと全てが三文芝居に見えて何も感じなくなる。計算高さに気付かせず俺を洗脳してくれ。そんな文章に出会った事が一度もない。俺はお前に出会う為に生まれてきたんだ、と信じさせてくれるような文章に出会いたい。

文章になってる時点ですでにリアリティが失われている。細胞が破壊されているんだ。叩きつけるように、ただ意味を成さない思考の断片が数珠繋ぎになった文章こそが真実なんだ。編集する作業が入ったり、無駄をカットする労力をかけた時点で、その文章は死んでいる。全てが嘘なんだ、作られた世界なんだ。そんな紛い物ばかり溢れる個人ブログが増える事で、仮想世界は嘘だらけになる。

貴方の文章は、完成された見事な文章だ。隙が全くない。ポエムも嘘だらけだ。真実がまるで感じられない。己の心を純粋に投影するだけならば、そのように美しい文章になるはずがない。それは嘘だ。美しすぎる文章は疑った方がいい。読みやすく工夫された文章に真実など無いのだと、何故気付かないんだ。気付かないやつらは、自分が与えられる側に甘んじているからだ。全ての文章の嘘が見破れる心眼を開けるまで、自分の文章を打ち続ければいい。自分の文章力に限界を感じる時、全ての文章は嘘なんだと感じられるはずだ。

俺は捻くれているから、輝く誰かを賞賛する大衆に混じりたくはないんだ。例えば分裂勘違い君の記事はあまりブクマしないようにしている。自分に僅かでも似通う空気を感じる者や、「脚色された」匂いを嗅ぎ取ってしまうと、その表現者の文章には何も感じなくなるんだ。その表現者を、自分の中で否定し続け、けして心の中に入れようとはしない。そうする事でしか自我を保てないのは、俺もだんだん紛い物に近くなってきた証拠だろうか。

アクセスがゼロに近付けば俺は、素のままの俺になれるはずだ。なのにアクセス数が減らないから、俺は真実を自らの手で捻じ曲げて、文章として表現するだけの表現者に徹しなければならない。アクセスが減るのは嫌だ。どんな俺でも、俺が生き続ける為にはこのブログが無けりゃ駄目なんだ。居場所なんか何処にも無い。このブログを閉鎖したら、こんな特殊な経験持つ俺だから名前変えてもすぐバレるって。じゃあ此処で踏ん張り続けるしかない。虐待について打ち明けた時点で、俺の居場所はこのブログしか無いんだ。消えるがわけない。俺はこのブログと心中するんだ、このブログが消える時は俺が死ぬ時だ。

死にたい気分の時は、何をすれば良いのだろう。ネット上の友人達は、ブログなんか止めちまえ!とか、ネットから離れた方がいい、と助言してくれるのだが・・それは無理だ。ネットから離れてる時間は拷問に等しい。俺がネットから離れると、性的虐待の記憶が止まらなくなる。俺の思考をそのまま映写出来る装置があればいいのにな。

もう何に対しても熱くはなれない。どうせ俺は・・と諦めてしまう。リアルでも仮想でも、俺には努力が足りない。もう今の状態で限界だ。全力疾走してる状態だよ。俺はこれ以上の可能性もないし、努力する気もさらさらない。こんな無能な俺が、自分の無能さを表現する事に価値を見出してくれる人も居るようだが、俺は多分ずっとこのままだよ。整形手術するのは、美しくなる為じゃなくて、人並み以下の状態でもいいからラクになりたくて嫌々するだけだから。金もかかるし最悪だ。

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goo blog funamushi2 - 2006-09-08 10:40:36 コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )

コメント

Unknown (R)
2006-09-08 11:57:27
無駄かもしれませんが、
私の好きな詩を一つ、送らせてください。
詩は人それぞれ解釈が異なってくるので、
不快にさせたらごめんなさい。
人みなを殺してみたき我が心その心我に神を示せり
世の中の多くの馬鹿のそしりごと忘れ得ぬ我祈るを知れり
我が心我のみ知る!といひしまま秋の野路に一人我泣く
そんなことが己の問題であるものかといひしことの苦くなる此頃

Unknown (名無し草)
2006-09-08 13:25:21
わり、タイトルだけ見て書かせてもらうが
百聞は一見にしかずって聞いたことないか?
人が見たままを文で書くのはそりゃ無理が
生じるというもの、許容量が小さすぎるんだよ、文章は。
それを文章に書かれたことが嘘っぱちと決め付けて
鬱入っているのはどうかと思うぞ?
何の為の頭だ?お前さんの頭は思考が停止しているのか?いいから想像力を働かせてみろ。
あと嘘っぱちでもいいじゃないか、楽しければ!
楽しい嘘ってヤツさ、漫画や映画がかつてリアルだった事があるか?
それともうひとつ、お前さんの書く文章は、どこか辛気臭いんだよ。
死ぬだの性虐待だのの文字が躍っていて
読んでいてちっとも楽しくない!
でもな、そんなお前さんが何故かほっとけないんだ。いいか、お前さんが心に背負っているものを降ろして外に出てみろ。
外に出たら客観的に周りを見てみろ。俺が俺が、じゃなくて、ただ漠然とな。
バカが多いぞ、俺とかなwお前さんはマジメに考えすぎだよ。
熱くなれるものが無いなら、別に今無理して探す必要も無い、その内見つかるという気持ちで気楽にいればいいんじゃないか?
ま、最初にお前さんが書いている様に、俺の文章にも
リアリティなんて感じられないんだろうよ。
けど、んなもん理屈じゃねぇんだな。
最初に書いたろ、百聞は一見にしかず、ってな
いくら文章書いても見たものにはかなわねえんだ。
いいか、こんなブログで漠然と待っていても
そんなモンなんか出てこないぞ。
歩き回れ、歩いて歩いて歩き回れ!
自分で探して来い、何か見つかることは確かだ。
その日で見つかんなきゃ、その次の日も、そのまた次の日も歩き回れ。
それとラクしたいなんて考えるなよ、人間は生まれてから死ぬまで苦労の連続なんだ、ラクになれるのは満足に生きて死の床に着く頃だけだ。
死ぬなんて何時でも出来る、だったら今はできるかぎり生を楽しめ。貴重な体験してるんだぞ俺らは。こうやって「生きる」って体験はよ。
ところで俺、お前の望んでいるものに対して勘違いな答え出してるか?
追記:「2ちゃんねる」にライダーマンってバカがいる。
はっきり言って救いよう無いバカだが、コイツと少し会話してみるのをオススメする。
キャラネタのここだ。
http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/charaneta/1155191312/l50
付き合いきれないなら止めてもいい。
ただ、こんなヤツだって立派に胸張って生きてるって認識してくれればな。

Rさん、こんばんは (ゆがんだはしご)
2006-09-09 01:18:21
その短歌の作者について検索で調べてみました。俺は余り先人には興味を示さない人間なのですが、この短歌の作者には何かしら心惹かれるものがあり、以下の記事を読んでいるところです(たまたま見つけたのですが、なかなか興味深いです。
> 現実は詩人にとって強固な抵抗体であるが、思い出は潤色をも許す半ば無抵抗の閉ざされた私的空間だといえる。
http://www.ten-f.com/sub1.html
特にこの部分ですが、思い出が無抵抗であるから、故に思い切り斬り込んだ先にあるものは自害なのかもしれない。思い出を過度に追求し暴こうとする探究心は、自らの身を滅ぼす危険性があるという事かもしれないですね。
現在、該当記事を読み進めている途中なのですが、非常に価値ある情報を有難うございます。不快だなんてとんでもない、名も知れぬ貴方が俺なんかの為に色々と考えてくれるのは本当に有難いというか、感謝しています。

名無し草さん、はじめまして。 (ゆがんだはしご)
2006-09-09 01:23:43
「> タイトルだけ見て書かせてもらうが」 って前置きのわりには俺の過去記事も目を通していただいてるようで・・。確かに俺は現在、過去について考えすぎて思考停止状態に近いかも。
俺は読者を楽しませる為にブログやってるんじゃなくて、どんな感情持たれてもいいから、こんな人間も居るのだという事に気付いて欲しいという気持ちで文章を打っています。子供は残せないだろうから、文章を誰かの心に焼き付けたいというか・・。文章下手ですから、あくまで理想なんですけど。つーか知識足りてないから、そのうち飽きられるというのが恐怖なんですけど。
ブログが増えすぎたせいで、俺のような長文ブロガーは淘汰されると思うので、俺も日ごろから極力、無駄を無くそうと文章をかなりカットして出してます。で、無駄を省く過程で、どうしても文章のつなぎ目が不自然になるので、そこを埋め合わす別の作業が入る瞬間に、虚しさを感じるのです。そのまま超長文で出しても良いのだけど、でもそれは時間の足り無い読者に対して失礼でもあるんですよね。
ライダーマン見てきたんですが、何となく会話する気にはなれませんでした(汗。 何だか良く解らないのですが貴方なりに気遣ってくれたんですね、有難うございます。

Unknown (蜜)
2006-09-09 03:50:28
感じた事、思いついたそのままの勢いで手を止めずに綴れたら、或いはそれが、真剣に人に響くのかも知れません。
でも、やはり、“見てくれる人が居るんだ”って意識した瞬間、ブログは自分だけのノートじゃなくて一種の“作品”になるのかと。
“必要以上に自分を良く書かない”
“必要以上に相手を悪く書かない”
心の隅に留めてはあっても、表\現としてのエントリを考えたり、保身を考えたりして、少しずつ真実から離れていきますね。
はしごさんは、メモ帳に書いてからエントリをあげられると前に言われましたが。
俺は、毎回はしごさんのエントリを読むと、プラスでもマイナスでも、“生きた言葉”を感じる気がします。
どんな状態のはしごさんであれ、価値があるとか無いとか、頭で考えるのではなく、“何か”に惹かれて、相変わらずひっそりと覗かずにはいられなくなった様な。

Unknown (R)
2006-09-09 10:25:36
インスピレーションなのですが、
はしごさんの文章を読んでいて、
いつもこの詩人の詩が頭に浮かんでいました。
叩きつけるように、ただ意味を成さない思考の断片が数珠繋ぎになった文章こそが真実なんだ。
このはしごさんの件を読んだとき確信しました。
まさに言葉の相対性と直観の絶対性という矛盾の壁にぶつかった、という瞬間で、これを打破するため、新しい表現生み出したのがこの詩の作者の天才性だと思います。
私はそれ以上にそのきっかけをつくった高橋の詩と思想に興味を抱きます。
求める人は何処にもいないというはしごさん、
もしこの世界に求める人がいないならば、
過去や未来にその人はいる、
それでもいなければ天や地の中にいるかもしれません。
はしごさんの無限に広がる可能性を信じています。
追伸:このレスに対するレスは結構ですよ。

蜜さん、こんばんは。 (ゆがんだはしご)
2006-09-10 01:13:03
蜜さんの言う通り、\"保身\"を考えて無難な路線でまとまってしまうと、リスクは負わずに済むだろうけど、心に響くものが無いと思うんです(・・素人の癖に偉そうな事言いますが、、。
俺が見る方面がブログ論の世界ばかりだから、外を意識して作られた世界を見慣れてしまいウンザリしてきたのかもしれません。ブログ論を綴る人達が、ブログ以外の話題を綴りだすと、何かしら「作られた」印象を感じてしまうんです。蜜さんは、日常生活を綴られていますから、ありのままの姿がリアリティがあって良いなあと感じます。
つまるところ結局は、「究極のリアリティのある文章」ってのは、他愛もない日常生活を綴った文章であるのかもしれません。その他愛もない日常生活の喜怒哀楽を綴った文章こそが、真のリアリティある文章なのかなと、俺なりに結論に至りました。
何かを論じたり、啓蒙する目的の記事っていうのは、何にしても胡散臭いものだなあ、と常々感じています。何かを論じる場合は、考えを綺麗に纏めすぎずに、斬新さを打ち出してゆくのが大切なんだろうなあとも思っています。(思ってるだけなんですが、、

Rさん、こんばんは。 (ゆがんだはしご)
2006-09-10 01:13:25
俺と同じ経験をした人に現実に出会ったとしても、その苦しみの感じ方は人それぞれだから、俺が救われる事は無いと思うんです。なので仰る通り、今は無き先人達が死すまでの人生を紐解く中に、何かしらの答えが見つかるのかもしれません。
やはり、その人物の一生を通してみてみない事には、その人物の「思想」は未完成な状態だと思うんです。死んだ時、ようやくその人物の思想が完全体となって誕生するのかなとか思います。そしてその思想を、後輩達が受け継いで行くという感じなのかなあ。
俺は読書が苦手だし、余り難しい文章は嫌いなのですが、中原中也さんの生い立ちの記事は、末文まで興味深く読ませていただきました。俺は頑固なので、先人の思想に傾倒する事は無いと思うのですが、自分の感情に酷使するものを知る事で、ほんの少し安堵感を得る事が出来ます。

Unknown (ゆがんだはしご)
2006-09-10 01:18:06
×酷使
○酷似

Unknown (Unknown)
2006-09-11 00:21:30
私にとって貴方の文章は完成された見事な文章だ。
いってみただけだ藁

Unknown (ゆがんだはしご)
2006-09-11 01:17:26
俺が、誰の文章を読んでこういった気持ちになったかってのは秘密です。


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