heartbreaking.

中年の末路とその記録

一人の読者が求める面白さをずっと持続させているブロガーが存在するとするならば、それはブロガーなどではなく作家だよ。

最近つまらない、もう一花咲かせてくれ、などの意見をいただくようになった。

俺は人を面白がらせるためだけにブログやってるわけじゃないので・・・ 何のために集客してるかというと、ここぞという時に俺の主張(恋愛できるのが当たり前ではない・子供が出来るのが当たり前ではない等・・・)を世の中に通す為であって、道化で人を笑わせるピエロで居たいわけじゃない。

つーか、何か面白いことねえのかよと、俺が逆に問いたいよ。ネットがつまんねえから俺はリアルに逃げてるわけで、ネットが魅力的ならまた戻ってくるよ。つまらないというのは、俺が求める面白さが今のネットにはなくなったというだけの話。面白い人は居るんだろうけど、探すのを諦めてしまった自分が居る。意見の食い違いに激しい怒りを感じることもなく、かといってちょっとしたズレに寛容になれるわけでもなく、ネット上に漂うありとあらゆる個人の感情がただただ、わずらわしいだけなんだ。俺が感じる世界への漠然とした諦め感だけがすべてで、もう人の話は聞き入れなくなった。

面白くなろうと思えば、他のブロガーに絡めばいい。 今はただリアルでいっぱいいっぱいなので、そんな精神的余裕がないだけです。他のブロガーに絡むには何らかのエネルギーが必要なんだ。俺も一発ドカンと花火あげて注目浴びたいという餓えだったり、なんであんなやつの意見が大勢に絶賛されているんだという怒りだったり・・・

またはそういうエネルギーが沸き起こるような攻撃を加えてくる相手がいないとなかなか・・・ 戦いを繰り返すとだんだん腰が重くなってくる。本気の戦いはひどく精神を磨耗する、酷く愛し合っている状態に近い。戦っている間は、その相手のことで頭がいっぱいになる。かつて戦った相手には何らかの複雑な感情がいまもわずかだが残留し続けている。戦いの最中はまるで余裕がないが、終わって時間が経つほどにだんだん甘酸っぱい感覚に胸が満たされてくるんだ。嗚呼あいつはなかなか魅力的な人間だった。

でも面白いっていうのは非常に大事な要素で、つまんねえ・・・ と名無しコメントがしょっちゅう入るような状況をあまり軽く考えすぎないほうがいいかもしれない。

かといって無理をして、面白くなろうとしなくてもいい。今の自分にしか打てない文章を打てばいいんだ。

何故ならば、俺自身の心の風景も年月と共に刻々と変化し続けているからだ。今、コメント欄に「面白くない」と書き込んでいる人はもしかすると、数ヶ月前・一年前の俺の打った文章に思い入れを持った人かもしれないからだ。

その人が求める面白さを今の俺が実現させるためには、俺自身が、自分の過去へ逆戻りしなければならなくなる。そんな無謀なことをすれば俺の精神状態のほうが可笑しくなってしまうさ。人を面白がらせるために、自分の時をゆがめてまで全盛期の俺を保ち続けようとは思わない。

残念だが、数ヶ月前や一年以上前の俺の文章はもう読めないと思ってくれ。その文章は当時の俺にしか生み出せない代物だったのだ。今の俺はその当時の俺が色合いを変えた結果であり存在なのだ。俺自身もさびしく感じるけれど、一人の読者が求める面白さをずっと持続させているブロガーが存在するとするならば、それはブロガーなどではなく作家だよ。どこかで無理してんだよきっと。

そのブロガーを一人の人間として過去ログを含めて長期のスパンで眺めてみると、様々な心模様の変化が垣間見えて違った面白さが見えてくるはずだ。だが残念ながら一人一人のブロガーの過去ログまでさかのぼるには時間が足りない。個人の日記を綴る膨大な過去ログは一体なんのためにネット上に残留し続けているのだろう。もっと過去ログに興味を持ってくれ。俺もサイトに過去ログ一覧作ってあるからさ。