heartbreaking.

中年の末路とその記録

終わりでもない、始まりでもない、いまがすべてなんだ

結婚しても、「自分の部屋がある」ってのが、理想だった。

私にあてがわれた部屋が、イコール夫婦の寝室なので、旦那がムニャムニャ眠そうな顔して私の部屋に入ってくると、まさか夫婦であるのに、無視して自分の趣味道だけ突っ走るわけにもいかず・・・ 私がどんなに起きてやりたいことがあっても、寝なくちゃならない雰囲気になる・・・

旦那の寝顔はかわいいなあと思うものの、可愛いから襲ってやろうか!というほどテンションがあがるわけでもなく、空気みたいな存在になりつつある。あー、このなんでもないような日常を守るために明日もがんばらないとな・・・(新婚夫婦はセックスばかりしてるわけではなくて、案外フツーです)

ネット中毒だった自分にしてはヤケに物分りよく、電気を消して、目を閉じる。昔は、寝る前のわずかな時間に、さまざまな妄想を頭に描いて楽しむことが、自分にとって最高の贅沢だった。いつからだったろう、妄想を楽しめなくなったのは・・・ ひどいときは、起きてる時間すら妄想に耽っていたというのに。

結婚してしばらくは、冒険する夢をよく見た。でも最近は、ひどく現実的な夢ばかり見るようになった。独身の頃は、体のつながりだけを求めて簡単に体を許していたけれど、結局は利用されるだけの女でしかなく、何も手に入らなければ失わない、無だった。ただ一人の男に心から愛されている実感すらない孤独が、孤独であるがゆえに、様々な夢を見せて、私を楽しませてくれた。夢は、手に入るまでが夢で、手に入れてしまえば消えてなくなる。夢の跡には、ひどく現実的な道が続くが、ここは終わりなのか、それとも始まりなのか・・・

結婚は人生の墓場というが、ここは終わりでもなければ始まりでもない、すべての中心なのだと思って、納得して生きていればいいのかもしれない。現状を維持することがなにより大事なんだ。これを失ったら、また終わりか始まりかわかりもしない、不安定な世界に戻るだけ。

けれど、自分の意識の及ばないところで、無意識に見せられる夢は、まるで一人に戻りたがっているようなものばかりで、今の私は、私が求める自由を、この部屋に、風呂に、トイレに、すべてにおいて感じることができていない。すべては旦那が用意したもので、旦那に管理されている気分からずっと抜け出せない。生活費は出していないので、水道代を気にして何となく風呂は沸かし辛く、ここに引っ越してきて一度も自分一人のために湯をはったことがない。

風呂に浸かることって、自分一人の「自由」を感じる上で、実はかなりウェイトを占める部分なんだな。

一人の部屋に移り住み、好きな家具を好きな場所に配置して、ワクワクしている夢を毎晩見てる。これは今の自分の願望だ。なにもかも自分で自由に決めて、すべてを自分で管理したいと強く願っている。

一人暮らしの頃は、朝までずっとパソコンで遊んでるのが普通だったし、何者にも邪魔されない、完全に一人で集中できる状態だったので、落ち着いてネットを楽しめていた。

今でも、自分の部屋のドアを完全に閉じてしまえば、一人でそこそこ集中してネットを楽しむことはできる。カギはないけど、徹底して一人になりたいなら、ドアプレートでもつけて「今は一人になりたいので入らないでください」の意思表示をすればいい。

お互いが一人になりたい気分のときは、それを察知して適度に距離をあけて、自分の時間も自立して過ごしてくれる、ちょっとした心遣いに、相手の優しさを感じたりしませんか。

ドアを開けてネットに集中していると、いつ旦那が背後に立ってるかワカンナイので非常に落ち着かないですね・・・

部屋替えしようかにゃーとか、今悩んでいる。Googleの画像検索で「俺の部屋」と打ってみたら色んな部屋が出てきたので、参考になるかなーとか思いつつ・・・(女の部屋は興味なくて、何故か男の部屋を参考にしようとしてしまう)あー、机周りとかゴチャゴチャしてんの男らしくて魅力的だよな。

今、パソコンのモニターもキーボードも、周辺機器も全部メタルラックに収納していて、私はベッドの淵に座りながらカタカタとキーを打ってるんだけど、どうしても前かがみになって長時間は持たない。シンプルな机が欲しいなあ。