heartbreaking.

中年の末路とその記録

寝る前に、暗闇の中、一人追い詰められる

私は、母が20代後半のときに、ようやく出来た子で、両親には大変喜ばれ、大事に育てられました。当時は、まだ景気のよい時代だったので、私の両親は共働きでした。

母は、私の着る服を、わざわざ手作りしてくれました。幼い頃の私の写真はたくさんあります。その写真の中で私は、いつも違う服を着ていることからも、いかに大事に育てられたかがわかります。

よく病気になり、母の手をわずらわせた私でしたが、やがて幼稚園に通う歳になり、この頃から私は、両親が仕事をする間だけ、両親が共に働く、身内ぐるみの工場に預けられることになりました。

身内ぐるみで経営する工場には、祖母と、長男一家が暮らしています。はじめのうちは、祖母が私の面倒をみてくれました。退屈そうにしている私に、祖母はいつも、本やお菓子を買い与えてくれました。祖父は寝たきりになっていたので、私が耳元で大きな声で話しかけても、わけのわからない言葉しか話せない状態でした。

そんな日が続いたある日、いつものように祖母に本やお菓子を与えてもらい、一人で大人しく遊んでいた私のところに、長男一家の次男がやってきました。「○○ちゃん、一緒に遊ぼう」私の両親は下の階の工場でトンテンカンテンと忙しく働いています。祖母は「じゃあ、いっておいで」と、奥手で大人しい私の背中を押して、次男と一緒に遊ぶよう促しました。

私は次男の部屋に行きました。次男はファミコンを持っていて、テニスや、スーパーマリオや、サッカーのソフトを自由に遊んでいいよ、と言いました。そして次男は机に座り、ガンダムの絵をかなり上手に描いてました。キン肉マンの消しゴムもケースに入れてたくさん持っていました。私がサッカーのゲームをしていると、次男がいつの間にか出て行きました。そして、いつの間にか、入れ替わるように、長男が入ってきました。

長男は、私がゲームするのをやめさせて、私の体中に突然まとわりついてきました。当時は、今のようにテレビもパソコンも普及していませんので、幼稚園に通う小さな私には、それがどんな意味をもつのか、まったく想像もつかなかったのです。私は服を脱がされ、乳首を舐められました。気持ち悪くて泣いていたかもしれません。そのまま、体を押し倒されました。私の股間を観察しながら長男は、指で乱暴に、私の小さな穴をこじあけようとしたのです。私は幼稚園児でしたので、この痛みがどういった意味をもつのかわかりませんでした。ただ、殺される!と思ったのです。長男も、女の体に触れるのは初めてだったのでしょう… せめて、女に慣れている男性ならば、私もあのような地獄を味あわずに済んだものを…

ギャー!痛いー!ギャーアアア!と、泣き叫びました。鼻水を垂らし、ブザマに、死にもの狂いで、体をひきずりながら、摺りガラスの引き戸に手を伸ばし続けました。ですが、長男は、空手を習っていたので(しかも、大会で上位に入るほど強い)力でかなうわけがありません。長男は、空手で習う、そのチカラを、幼稚園児の、自分より年下の何も知らない女の子を、好き放題に扱うために、使っていたのです…

私の小さな体は、空手を習う長男のものすごい力で、あっけなく引き寄せられました。長男は私の穴の中に指をねじこみながら、「おしっこ出して!」と繰り返しました。「おしっこ飲んであげるから、ほら、おしっこ出して!」と。私は、穴の中に指をねじこまれた状態で、痛みで、おしっこを出すどころではなく、嗚咽をもらしながら、体をよじって、長男からなんとか逃れようとしました。

しかし、私がおしっこを出すまで、長男は離してはくれませんでした。私がようやく、おしっこを出すと、長男は私の性器に口をぴったりとつけて、すべてを飲み干しました。そして、心底うれしそうな顔をしていたと思います。その後も、長男は、逃げる私の手首・足首をつかんでは、絨毯の上をひきずりまわし、私の大事な穴を、まるで道具を扱うように、指を入れたり、舌を入れたり、鉛筆などの固い物質を入れたりしました。

長男は、私を洗脳するように何度も、この耳元で繰り返しました。「誰にも言っちゃ駄目だよ?」と。

私の両親は、下の階で、身内の皆さんと一緒に働いているので、気付きませんでした。工場ですので、トンテンカンテンうるさいです。二階の長男の部屋で、自分の最愛の娘が、まさか兄弟の甥っ子に、痛めつけられているなんて、想像もつかなかったでしょう…

長男は、その後も、私が大人しく・その意味を知らないことに味を占めたのか、私を部屋に連れ込んでは、「おしっこ出して!」と命令しながら私の穴の中に指をねじこみ、私がおしっこを出すと、それをすべて飲み干し、さらに耳元で「誰にも言っちゃ駄目だよ?」と繰り返しました。

ある日、私は、自分の死を感じ、すべてを諦めました… 暖房のよく効いた南国のようなむせかえる部屋の中で、私は長男に、股を開かれ、穴に指をねじ込まれていました。私はいつものようにギャー!ギャー!イヤー!と泣き叫んでいました(自分ではっきり覚えてます)。長男が、股間からなにかとてつもなくおそろしいものを出すのを感じたのです… 私には、その意味はわかりませんでしたが、ただ、殺される、自分は死ぬと思いました。私は、部屋の柱にかかったピエロの人形にむかって必死に手を伸ばし、体をよじってなんとか逃れようとしましたが、長男は私の両脚をひきずりよせ、そして私は、穴の中に長男のものを受け入れてしまったのです…

途中で気を失いましたが、その日は雨が降っていて、私は気がつくと、いつの間にか、服を着せられていました。そして、夕方になると、母が仕事を終えて迎えにきました。私は、この、長男との間に起こった出来事がとてつもなく恐ろしく、そして「誰にも言っちゃ駄目だよ?」と言われた言葉だけを、守らなくてはいけない気がして、それを言ったらすべてが壊れる、大変なことになる、という恐怖のほうが大きくて、母には言えませんでした…

悪いことをされている、自分は悪くないのに、自分まで悪いことをしているような罪悪感でなにも言えなくなってしまう……

私は、その意味を知るのが怖くて、でも知りたくて、画用紙に、その行為をする絵を描いてみたり、ぬいぐるみの尻尾を自分の穴に入れてみたりしながら、自分の手で新たに作り出す痛みで、痛みと恐怖しかない長男との出来事すべてを、遠くに・見えないところに埋めようとしました。

小学生・中学生…と、いつも心の奥底にフと湧き上がる怒りがありました。でも、身内だから、しかも私の父の兄弟の甥っ子だから、こんなことは…… 怒りをねじ伏せ、日常に戻るけれど、身内の中では「いいヤツだ」と評判のよい長男の甥っ子の話は、頻繁に耳に入ってくる。何故、誰も、気付かないんだ… 私のほうが間違っているのか… 私の心は屈折していく一方だった。

高校を卒業し、社会人となってからも、その怒りはしばしば現れたが、幸い、ゲームに没頭していたので(ちょうどその頃、スーファミからプレステ移行時期でゲームが充実していた)、過去の痛みも追いつけぬほど自分がオタクで突っ走っていたために、怒りは心の奥底に静かに横たわるだけの日々だった。

20代半ばを過ぎたある日、ネットで、子供を虐待する罪がいかに重いかを知り、頭をハンマーで殴られたような強い衝撃を受けた。

ちょうどその頃、ブログが流行りはじめていたので、gooブログを開設し、「ゲーム思い出の小箱」というブログを開始した。ハンドルは、お気に入りのヘッドフォン「ATH-AD9」で、当時、gooでブログ論で有名だった、えっけんさんのブログのファンになり、ブログの面白さを知る。

ブログ名をもう少し格好よいものに、と考え「heartbreaking.(セダクションの曲名をヒントに)」にした。名前は「ゆがんだはしご(ブレスオフファイアの楽曲名)」だった。趣味のゲーム音楽を語りつつ、ポエムを作り(当時、男だったので、女性読者にはウケた)、ブログ論を論じ、そして、ある時、勇気を出して、自分が幼児期に虐待を受けていた事実を記事にした。

過去の出来事を、文章にする過程で、私は、虐待の事実を言葉にする勇気を得ることができた。ブログで得た勇気をもって、現実世界でも、身内全員を集めた場で、自分は幼児期に虐待されていたのだ、と伝えることができた。

しかし、私を虐待した長男には、嫁や子がおり、身内全員が、この長男をかばった。長男は、「違うよ、それは○○ちゃんが勘違いしているだけだよ。ぼくは、○○ちゃんのオムツをかえてあげただけ」と言い張っている。その母親は「お金目当てで、嘘をついているんでしょう!」と私にものすごい剣幕で詰め寄ってきた(電話でも、おらばれた)。祖母には「お前には呪いがかけられている。それをとりはらってやるから、来い」と言われた(強力な霊媒師を呼んで身内全員が、私を待ち構えていたらしい。そんなのに取り囲まれたら私はどうなるかわからないので行かなかった)や、むしろ憑依させられて「やっぱり○○ちゃんには悪霊がとりついていたんだ」と、言われかねない。

私を虐待した男の母親が、涙目で、怒り狂った顔で、「○○ちゃん、ウソをついたらいけんよ!」と怒鳴ってきたんですよ… ひどすぎて、思い出すたびにグサァァッ…!とくるんですが、親ってものは、たとえ子供が犯罪者でも、それを信じようとしないんですかね。被害を受けた人間は、その事実を告げることで、さらなる苦しみを背負うことになる…

特に、性的な被害においては、証拠がないものが多いです。私も、「じゃあ、証拠を見せてくれ!」と言われましたし、「証拠がないなら、なにが目的なんだ!金か?金目当てか?」とまで言われました。

私はそれが悔しくてならないのです… いまだに毎晩、眠る前の静寂の中で、この悔しさで壊れてしまいそうになります。なんで、子供の頃に虐待を受けた私が、大人になってその事実を本人やその家族に伝えただけで、嘘つき呼ばわりされた挙句、命まで狙われなければならないのか……

この小さな幸せが、いつか壊れるときがくれば、きっと、私を苦しめる存在すべてを消し去るために、この場所を飛びたつでしょう… 被害者にとっての最大の救いは、加害者が死ぬことです。あなたたちが死んでくれなければ、私が、この手で、殺すしかありません。