heartbreaking.

中年の末路とその記録

学校の、親を呼ぶイベントを廃止すればよい

最近は高齢出産する女性も多いだろうから、学校の授業参観とかの親を呼ばなきゃいけないようなイベントを全部廃止したほうがよいと思う。(若い母親たちの中に高齢出産した母親が入っていくのは無理があるし、子供もかわいそうだし、なにより母親自体が孤立しかねない=子供も孤立する)
さらに保護者の中で役員決めるとか、一部の暇な専業主婦だけがやればいいようなヒマなお遊びもやめたらどうか(働いてる忙しいお母さんが困るだろうから)。
働いているお母さんたちはそんな時間はないだろうし、仕事を休んで学校の行事に出るのも大変だろう…
私は自分に子供はいないし、子供も嫌いだし、子供のいる女も嫌いだけど、仕事をがんばっているお母さんたちに対する理解をしてあげることは大事だと思うなあ…

ヒマな主婦だけがやってりゃいいようなイベントとか役員とかそういうの、そろそろやめたらどうかなーと。保護者を呼ばないと成立しないようなイベントや、役員作ってPTA(?)とか、それらに親が参加するかしないかで子供への待遇が少しでもかわるような問題が生まれかねない。
働くお母さんと、働かないお母さん。もしくは若くてなんとなくできちゃっただけのお母さんと、苦労して望んでようやく高齢出産したお母さんでは、見た目も違えば、考え方も違う。それらがママ友として無理をして付き合いをしなければ、子供たちの交友関係に影響するかもしれない。
友達は子供同士が自分たちで選べばよい。ママ友とやらの付き合いでその子供同士も友達、なんてパターンでできた子供同士の付き合いはどうせくだらないまま終わる。
だから学校の一切のイベントを廃止すべきなのだ。

嗚呼、勘違いしないでほしい。自分は基本、子供嫌いだ。子供のいる女も嫌いだ。子供のいる女が偉いとは思わない、子供や子供のいる女を無条件で崇拝する馬鹿な男共も嫌いだ。子供ができるかどうかは努力で必ずしもどうにかなる問題ではない。
だけど自分もやはり生物としてこの世に誕生したかぎりは、やはり自分の血の一滴でも残して死にたいと思う、自分の遺伝子を残して死にたいと思う。
子供はほしいのだ。だから子供はいなくても、子供のいる人のことまで考える、考えたくなるのだ。自分が選びたいひとつの未来のかたちに、自分をあてはめて考えてみたくなるのだ。

だが、誰かのエゴを満たすために子供を作り、誰かのプライドを満たすために、誰かに自慢するために、子供を塾に通わせ、一切の娯楽を与えず、勉強勉強、何点か、何番か、そんなのも違う気がするので、自分にもし子供ができてもそれは絶対ない。
私が、近頃の教育熱心な親たちに言いたいことは、自分たちが子供の頃を思い出してみなよ… ってことだよ。お前らそんなに勉強してたか?