heartbreaking.

中年の末路とその記録

不快な咳払いの理由はなにか

他人の前で、わざとらしく(?) 咳払いをする人が多くなってます。

たばこの影響などで本当に具合が悪いのか、それとも目の前にいる人間の存在自体を許せない思いで「いなくなれ」と咳払いするのか、精神的な問題なのか、…それは本人に聞いてみなければわかりません。

たばこや、精神的な問題、あるいは無意識に、咳払いをする人間に関しては、別段、怒りを感じることはないとおもいます。悪意のない咳払いをする人間に対して、「不快なのでやめてください」と言うほど、私も心は狭くないです。それは許しましょう。

問題なのは、目の前にいる人間の存在自体を許せないで「いなくなれ」と咳払いする場合です。

実は私も過去にやったことがあります。

恋愛したくてもできない、孤独だった頃に、目の前を幸せそうな恋人同士が通り過ぎてゆきました。言葉にならない… 自分の心の中に一瞬で製造されてしまった毒を吐き出すには言葉では間に合わない、
だから咳払いをしました。それで楽になれたわけではなく、あとからくる喉の痛みが、自分の心に新たに刻まれた痛みのように感じられて、ただ苦々しい思いで、そして自分は… なにをやっているんだろう… と

恋愛− 自分がマイノリティだった時代は、もしそれを奇跡的に手に入れても自分だけは変わらないと、まるで自分が悟りでも開いたかの思い込みを糧に、欲望を押し込めて時間を重ねることはできた。

でもそれはあくまで、自分ひとりの空間にずっと居られたらの話。たとえばテレビを見ていて不快な内容があると、テレビに対して咳払いをするだろうか。
大半は、そこに「人」がいるから咳払いをするのだ、物体にむかって咳払いはしないことからも、咳払いには何らかの思いが込められているといえる。

ひとりではなく、大勢のいる空間の中で、不快なものが映像と音声だけで伝わるならテレビと同じだ。が外の世界では、さらに空気を伝わってくる臨場感がある、まるでコンサートやライブ会場にいるような気分だ…
それら望まざるものが、臨場感をともなって自分をおおいつくしてしまうときがある。

受け止めたくないライブ感覚を、自分の中から効果的に取り払うために、一番手っ取り早いのが咳払いだ。
単に相手を不快にさせるために咳払いする人もいるだろうが、中には深ーい事情があってその苦悩の中で咳払いをしているだろう…
確かに咳払いをする人は不快だが、咳払いをしている人もまた、あなたや私に対してなんらかの不快感を感じている。

それがたとえば、女なら「若さ」、職場では「能力」、健康である、家がある、車がある、なんで私にはないのだろう、なんであなたは?という疑問からくる咳払いの場合は、勘のいい人なら咳払いをくらった瞬間にピンとくる。それ以上、咳払いの主を傷つけないためにも、できることならその場を立ち去るのが優しさです。

別の解決も考えてみましょう。
おそらく咳払いの大半は、自分の気に入らないものに「いなくなってくれ」の意思を込めてやっています。でもそんな人に限って、「どうぞ」と譲ってあげたり、優しくしてあげたときは、気持ちいい反応が返ると思います。中途半端で正体不明が一番よくないです、近くなるか遠くなるかで、めざせ異文化交流です。