heartbreaking.

中年の末路とその記録

ゴラムのように

なんでこうならないのか?なんで、あのヒトはああなのに、自分はこうなのか…
確かに、どうにもできないことはある。だから「努力」という言葉は好きでも嫌いでもない、あいまいなものだと思っている…
しかし、どうにもできないこと以外の、なんとかなりそうな部分まで、あきらめてしまってないか…

長く生きるほど、いろんなことが複雑に絡み合い、他人にこの苦悩を説明するには難解で、だから自分の中であきらめてしまう… 眩しく輝く人を見て、「自分もいつかああなるんだ」と希望を抱くための強さも勇気もない… 負けを認める、すなわち自分の死を意味する。だから、あきらめることで、なんとか自分の自尊心をたもとうとする。
だけど、一人の時間、眩しく輝く人の笑顔が… 星のように頭の隅でまたたくのを、止めることはできない…

もう、遅いんだ… いや、まだ遅くはない。あの人が悪い、いやあの人は関係ない… 指輪物語のゴラムはある意味、作中で一番「人間的」だといえる。我々人間はあのゴラムのように常に、もう一人の自分と自問自答を繰り返しながら生きている。
幾千、幾億の言葉を重ねても伝えきれないほどの、感情をうまく飼いならし、日々を無難に生きることが、自分にとってのささやかな幸せだとしたら… 
そんなのは、嘘だ。