heartbreaking.

中年の末路とその記録

生活保護と、老人を悪く言うことについて考えてみる…

生活保護、ネットでは悪いイメージばかりが先行して腹のたつ人も多いと思うし俺も腹たつよ。たった何万かでも一ヶ月コンスタントにバイトに出続ける必要がある。簡単なことじゃないんだ。

だけど生活保護を受けるほとんどは老人ということで… 年寄りなら仕方ない。でも若いころに計画性なく過ごしてきた結果かもしれないじゃないかと老人すら軽蔑する人もいるだろう。

いや今日一日の予定すら計画通りにいかないことも多いのに、人生が計画的にいくわけない、だから落ちぶれた人をみて、結果だけをみて、人生の無計画さを批判するのはチョット酷いかもしれない。

大学行くのも、音楽の才能開花させるのも、結婚して一軒家建てるのも、結構、親の金でどうにかなってる。底辺でずっと足掻いている人も、路上で寝ている人も、同じ境遇で生きて大学まで行けたなら、よい人生かもしれなかった…

そこに至る過程でどれだけ努力したか?努力した量で競争するなら誰もが同じ場所でスタートを切れる平等なので、過程の努力をどれだけしてきたか?が結果よりも尊い。

けれど努力のほとんどは可視化できず、努力した人と・そうでない人が、たとえば生活保護に至る結果だけで同一線上に並べられるのも悲しい。生活保護を受ける人個々の子供時代の環境に至るまで可視化された上で、その人はそれでもどれだけ努力してきたかがわかれば、納得できる場合もあるかもしれない… それがもっと見えてこなければ、生活保護に対して悪いイメージばかり先行して、そうじゃない本当の姿は見えてこない。

話がズレるが、ネットで年寄りに対する若者の考えも可視化されてきていて、それが怖い。「老害」だの「老人を山に捨てる」だのと… 老人が社会のお荷物的な老害だと迫害される未来なら、いまの若者はすべてを未来のためではなく今のためだけに消費し尽くして死んでくださいと言うしかない。

俺の未来はわからなくても、年寄りになることだけはわかるので… 誰だって歳はとる。当たり前だけど、わかってないから、平気で年寄りを悪く言えるんだろう…

生活保護で、問題なのは怠惰な若者で、生活保護など受けていては、周囲の目は冷たく、交友関係も限られてくる。

普通の人は働くのが当たり前で、生活保護の人は働かずお金をもらうのが当たり前で、双方の常識は大きくかけ離れている。もし、双方が現実世界であるいはウェブ上で交流する場合は、常識的な考えの部分で食い違いを感じ、上手くいかないと思われる。

生活保護の人は、次に繋がる「信用の資本」がないので、怠惰な生活に嫌気がさし社会復帰しようとしても、社会は容易には受け入れない空白の時間の負債をいつか払うときがくる。それがものすごく大変だよ… だから生活保護は一時的なものと思ってやっぱり何かしら働く努力したほうがいい。
…というわけで、ブログも更新したことだし(でも長文なのでたぶん読まれない)、俺は仕事をかけもちして今夜も働くので今から昼寝します… 仲間との連帯感とか、信用を得るとか、そういうのは大事ですから俺は働くほうを選びますね…