heartbreaking.

中年の末路とその記録

誰でもあること

今はブログでうかつに「死にたい」と言うと、刑事が家に来る時代(私も数年前に家に来ました:この記事)。日記で弱音を吐くことすらできないなら、一体どこに「死にたい」気持ちを吐き出せばよいのやら…

一睡もできぬ夜が連続したまま働きに出たり、そんな中で会社に遅刻しかけると、そこで完全に心が折れかける。こんなん続けてたらどうせ長くはない、もう死んだほうがいい…このまま跡形もなく自分が消滅してしまえばいい、このままどこか死ぬための場所へ移動して… 働いている場合じゃない、そうするべきだ今こそ決断のときだ、と思いつつ暗い気持ちの中で、挨拶しつつ会社に入ると…
同僚がいつも通り挨拶してくれて、「いつも通り」の空気だった。

ああ、自分がこんなにあれこれ悩んでいたり、疲れていても、いつも通りの空気にこうして包まれていると、とりあえず今、目の前にある作業をこなそう、と思える。良好な人間関係の中で、いつも通りの作業で、そして時間が経過すると、早く家に帰ろう、帰りにスーパーかコンビニでもよっておいしい「自分へのご褒美」でも買って… そして「おつかれさまでした」と、働いたあとの心地よさを感じつつ帰路につく頃には、死にたい気持ちも散っていた。

「とりあえず」でいい、自分の居場所、わずかでも必要とされている実感があれば、こんなふうに、たよりない命を転がすように騙し騙し生きてはゆける。生きるってことは、そんな生真面目に、なにか目標にむかって努力するとか、我慢するとか、そんなんばかりじゃ疲れる、そんな風に頑張れる人ばかりじゃない…

たとえば今読んでるマンガの続きを読みたいとか、そんなんでも生きる理由になる。そんな感じで生きることにしようと思った。

…はぁ、しかし数年前の自分の文章、面白すぎる… ほんとに俺が打った文章なのか?