heartbreaking.

中年の末路とその記録

その気遣いは… 自分のときにはなかったはずだ!と思うような出来事に、しばし考え込む

精神的な病名に逃げ込むことを批判する記事を出したのは、俺自身が、そこに逃げたい弱さの裏返し…

世の中、弱ってるフリの上手い人ほど、まわりに「大丈夫?」「どうしたの?」ってめちゃめちゃ気遣ってもらえる……、そういうの、妬ましく思う。そんな場面に遭遇するたびに「自分のときにはそんな気遣いはなかったはずだ」と内心傷つく。そのあと、部屋でうつむいて、じーっと考え込む。最後はヘッ、てやさぐれた顔で、心はグシャッと紙くずみたいになってる。俺も本当は弱いんだ!ってことをどこかで(会社とか)思いきって公表して、そして周囲に気遣ってもらいたい……(??)

…でも、そんな気遣いをもらいながら生きてる自分を想像すると、なんだか気持ち悪く感じる。いつも言いかけた言葉を飲み込んで、胸の痛み(本当に胸はほぼ毎日痛い)を理由に、精神的な病名に逃げ込んだら俺はもう終わりだ!とすら思っている。自分をこれ以上弱くする理由が決定付けられてしまえば、もう終わりだ!多分、二度と、這い上がれない。つか、今いる位置にすら上がってこれなくなる… 俺はもともと、だらしがない人間なので、、

今日も誰かが、他人の心など知ったこっちゃないとばかりに自分勝手な弱音を吐く。
「しんどい」「眠い」「だるい」「はぁーっ…」「働きたくない」

嗚呼、なんだかとても疲れた弱音だから、こちらまで疲れてくる。扉をピッタリと閉じて、誰も心の中に入れないように結構必死だ。多分、余裕がない。そこで「なんだこいつ?しんどいのはお前だけじゃねえんだよ!」と不快に感じていても、的確に切り返せるだけの間柄でもないので、、どうすることもできないで放置… そんなのが多いが、案外こんなことの蓄積も、この胸を痛くさせる原因かもしれない。

辛いことでも我慢して、苦しくても苦しいって言えないままに、かなり無理して生きてる人は……、案外放ったらかされたまま。大きな声で言いたいことを言える人間だけが、自分勝手なことをほざいて(たとえば「しんどい」とかの) 他人を不快にさせながらストレス解消してるわけだ。

自分はこんなに「しんどい」んだ、だから辛いんだ、とか、誰も聞きもしないうちから大きな声で訴えているような人は、実はそんなにしんどくない。しんどいのは、その話を聞かされる側であって、「いや、あなたが辛いのはわかったけど、私だってこうなのよ」と切り出そうにも切り出せない状況にされた側のほうが、はっきり言ってストレス貯まる。

俺は弱いです。ノミの心臓で、ほぼ毎日、踏み潰されながら、ビクビクしながら生きてるので… この心臓がいつ駄目になってしまうか…

でも本当は弱くても、強くみせるように普通に生きる努力を続けることは、無駄だとは思わない。

良い出会いを得たいならば、そうするべきで、何かしら辛いことがあっても強く生きる努力を続けている人の周りにはきっと、同じように苦しみを乗り越えて強く生きる努力を続けている素晴らしい人たちが集まってくるはず…

一に我慢、二に我慢で、とにかくこの世は我慢我慢ガマンですよ。。。俺はこの地点を維持するために、そして愛する家族を守るために、ずーっと我慢して口を閉ざしたままで生きて、死ぬつもりです。あなたもそうですか?では、共にがんばりましょう…