heartbreaking.

中年の末路とその記録

自分の真実を誰かに伝えることが、そんなに重要なことなのかどうか…

こんにちは。新しい仕事で覚えることも多いので、ブログにまで気がまわりませんでした。

定職に就いたので、仕事から帰ると風呂に浸かれるようになりました。風呂に浸かるといつも頭に浮かぶのが葛城ミサトの「風呂は命の洗濯」って言葉なのですが、家族の者以外には本当の自分を出せずにいるので、自分自身の抱える矛盾を湯の中に出しきって綺麗になって出るので、命というほど大げさじゃないですが、心を洗濯してくれます…

自分への矛盾って、耐えられないですからね…

最近は夫婦仲も特に問題ないのですが、そんな中で気になるのは年老いた親のことです。周りの人は無責任に「子供を作ったほうがいい」と言いますが、自分も親も歳をとってしまい、お互いが助け合ってようやくなんとかなるかどうか… という状態なのに、子供なんてとんでもない話だ… 子供を作ることよりも、年老いた親の面倒を見て生きることのほうが私にとっては重要です。私は「親不孝者」でしたからね…

自分も歳をとり、親も、皆、静かに終わりへと向かい始める中で、本当に大事なことは何なのか… ということがだんだんわかってきた。それは、もうこれ以上、自分が余計なことを言わずに、ただ静かに存在しながら愛する人たちを見守り続けること、それだけなのだ…

本気で誰かを守ろうと思うなら、岩のように口を閉ざすことも必要なのだと感じることが増えてきた。

自分は過去に従兄弟のお兄さんに性的な暴行を受けた。それを両親に打ち明けたことは、正しいことだったのかどうか…

真実を伝えることが、そんなに重要なことなのかどうか…

たとえ真実でも、あえてそれを言わずに黙っていることで、守れるものがあるのなら、黙ったままで傷ついているのは自分ひとりだけで充分だったのではないか…

真実を、自分以外に打ち明けても、誰も幸せなことにはならないのなら、真実を胸に抱いたまま墓に入ったほうがよかったのではないか…
私は真実を打ち明けたことで、多くのものを失いました。
そして、今だに傷ついたまま生きているのは、きっと私と、私を本気で愛してくれる家族の者たちだけです…