heartbreaking.

中年の末路とその記録

病んでる自分をデータに閉じ込める。

無職25日目…

集合住宅に住んでいるので、毎日近所の子供の泣き叫ぶ声がする。その、すさまじい泣き声を、SONYのICレコーダー(結構高い高性能なやつ) で録音し、再生する…

音量を最大にして、ピッと再生。

「ギャー!キャー!うわっ!(子供の声)」

…驚くほどしっかりと録音されている。

繰り返し再生していると次第に怒りが客観的に変わってゆくのが面白い。自分はなんて根暗なことをしているんだろうな。これじゃまるで変質者だ。

この録音データを利用する機会は多分こないと思うが、とりあえず、自分が客観的になるためには、漠然とした怒りを、データに変えて自分が所持できる形に変えることが有効であると知った。病んでる自分ごとデータに閉じ込めてしまう作業だ(案外、盗撮もそんな気分なんだろうか?)

生活の中に、予期せぬ形で、不意打ちのように入り込む、他人の子供たちの声はただただ不快でしかないが、それをデータとして自分が所持してみると、それはただ無邪気に遊ぶだけの子供でしかなかった(だからといって毎回いちいちICレコーダーで録音するのは面倒だし、迷惑であることに変わりはないのだが…)

とりあえず証拠はとれたのだから、それでいいじゃないか、と。今回はそれで解決にした。

子供たちの未来のために!という文句があちこちで聞かれる中で、子供に対して文句を言うような人間はほぼマイノリティ扱いされる。自分がマイノリティである前提で考えて行動しなければ、生き辛くなるのは自分だけになる。

何で俺は、無関係な他人をここまで憎んでしまったのか… いつからか、物事を分けて考えることが面倒になり、過去に自分を傷つけた人間に境遇が似ているから許せないとか、物事の関連付けばかりが進んでいって、世の中が許せない人間ばかりであふれてしまった。

今は、どうにも生き辛くて、休日、外に出ると窒息死しそうで、自分が自分でなくなりかけている。

俺はどうすれば救われるのか、自分のために考えている最中。

むしろ、自分が敵だと思う者を、敵だとは思わずに、愛してみたらどうだろうか…

俺に足りないのは、自分が逃げ続けている現実を直視し、敵をも愛する勇気をもつことではないのか…

どうせ手に入らない幸せを、憎み続けても、自分だけがどんどん醜くなって、心だけじゃなく人相までも変わってきている。鏡に映る自分の表情はいつも犯罪者のよう… これでは近所の子供たちも俺を避けるわけだ。

家の中で静かにすごす時間に、他人の子供の声が聞こえてくるという状態が、なぜここまで不快なのだろう。

子供を産み育てるというごく一般的な家庭での当たり前の幸せを、子供たちの無邪気な声が証明している。

自分が手に入れるはずだった、当たり前の幸せが、だんだん手の届かないものになりつつある中で、100%無理と決まったわけではないのに、ただ人の幸せを睨み続けるだけでは、本当に100%無理な状態になったとき、そんな醜い心のままで、その後の人生をどうやって生きてゆくのか、皆目検討もつかない。

俺だって幸せな気分で長生きしたい。

こんな気持ち、子供のいるお前らになんか到底わかるわけないけどな!と、漫画のヒーローが必殺技を放つような状態で全力で叫びたい。

極端な話、芸能人の女優では子供がいない独身者が多い。その人たちは子供もいなければ結婚もしないのに、なぜあんなに輝いているのだろう?お金が充分にあるし、恋人がいるからかもしれない。昨日テレビで、かたせ梨乃がフランス旅行をする姿が映されていたが、子供のいない独身なのに、いきいきと輝く笑顔で、そして何故だかとてもかわいらしいと感じさせる。見ているこちらまで思わず笑顔になってしまう。俺はテレビの中のかたせさんに「ありがとう」とお礼を言いたかった(ま、かたせさんは極妻の怖いイメージが強いから、本当は怖い役もこなせるのに、実はこんなに可愛い一面もあるのか!という部分がよかったのかもしれないが、、、)

俺は、子供が単体でいるのを見ると、普通に話しかける。スーパーで迷子の子供がいたら放っておけない。のどが渇いているなら缶ジュースくらい買ってやるだろう。

だけど父親・母親・お爺さん・お婆さんなどが、その子供と一緒にいる姿を見るとどうしようもない怒りや憎しみが腹の奥底から沸いてきて、ブチ殺したいと思ってしまう。俺が手に入れているはずのものを、手に入れられないままに生きているのに、何でお前なんかが!って単純なようで複雑な怒り。何度、見えない拳で殴りつけてもこの心の空洞は埋まることはなく、ポッカリと開いたままの心を満たすのは、血で染まる最悪な結末を頭の中でひたすら妄想し続けることでしかない。

…子供が家でゲームや勉強ばかりでなく、太陽の下でおにごっこやボール遊びをしたほうがイイってのはわかる。俺自身も子供時代には集合住宅のド真ん中で大勢の友達と缶蹴りをしたり、鬼ごっこをしたり、ボール遊びをしたり(滅茶苦茶やな…、、、) とにかく元気に遊んでいたことは覚えているので、、、うるさいと感じて怒鳴りたい気分を我慢していた大人もいたかもしれない。でも、子供の頃はそんなこと、まったく考えもしなくて、だから子供ってのはそういうもんなんだよな…

…いつからだろう?

他人の子供の泣き声をこれほどまでに気にすることはなかった。ブログにあれこれ自分の感情をぶつけすぎて、自分で自分を破滅に追い込んでいるような気さえした。