heartbreaking.

中年の末路とその記録

その表現は誰のもの ―既視感を覚える文章を見つけても、それは貴方の過去の盗作ではなくただの偶然か必然であるに違いない…

勢いで改行ナシで打った前記事が思いのほか反応いただけたようなので驚いています。
常々言っている通り、ブログの文章はライブ感覚です。フレッシュな気分で出したのに臨場感を作り出せないままにまるで死んでいる文章になるのが最新記事においては恐怖です。ブログの文章はやがて流れてゆき誰の目にもとまらない奥地でいつか奇跡のように訪れる探検者をひたすら待つだけが宿命の、そんな儚さなのです… サケのように遡ってくれる読者なんてそうそういません。

昔、にんじんの塔というブログがありました。ある日、私のブログの「読者になる」ボタンを押してきたので、どれどれとブログを見に行くと、ある地点で私は思わず立ち止まる。

「ハンマーで殴られたように」 ……この表現は… 私が過去にブログで使用した表現と瓜二つである。が、私の文章よりも効果的な使い方をしているために……、私のほうが彼女の振り下ろすハンマーで心を強く殴りつけられたのです。…私はそれ以来この方のブログは一切読まなくなっていました。文章のドッペルゲンガーに出会った気分でした。貴方はこのような恐怖を味わったことはありますか?(過去ログ 文章のドッペルゲンガーには会いたくない)
「ハンマーで殴られたように」の表現は果たして特殊でしょうか、それともありふれているでしょうか。苦しみを吐き出した当時の自分に語りかける「何故、あの人の表現と寸分たがわぬ表現を用いているにも関わらず、お前の文章のほうが劣っているように感じられる…」…と。
自分でも覚えている文章表現はあると思います。ポジティヴでもネガティヴでも、それは乗り越えてきた壁であり思い出であり誰にも穢されることなく守られていなければならない聖域に漂う美しい花なのです。それが罅割れてしまった…
使用した後も、なかなか強烈であったため…、自分自身の中にいつまでも残っていた表現が、ある日、たまたま見つけたブロガーが鮮烈な場面で自分以上に効果的に用いている。………こうなると、どっちが本物かわからなくなる、いや過去の私のほうが偽者だったのか… しかし、これは、ただの偶然です。実はこんなのは、よくあります。

自分と同じような悩み方をする人がこの日本中のどこかに存在するのです。

さらに、私は昔「思考のメカニズム」という表現を用いて文章を打ちましたが、最近どこかで「思考のメカニズム」という表現を見かけました。しかしこれもただの偶然なのです。こだわっているのは私だけで、日本中の誰が思いついてもおかしくはない、もしかすると私が過去の誰かの表現を奪っているともかぎらない。
独自の表現は過去~未来の誰かと誰かが奪い合うものなのか、盗んだり盗まれたりする悲しい性なのか。

…何故、自分がオリジナルであると疑いももたずに純粋に信じていられたのだろう。おごり高ぶりもいいところで、なのに似通う表現を綴る誰かを、自分の二番煎じであると、そういうことにしておかなければアイデンティティが保てなくなる脆弱な精神。

表現は、先に使用したものが絶対とも限らない、どこかで壁にぶつかった誰かが奇跡のようにひねりだす可能性もある。貴方もブログを長く続けるうちにだんだん気付いてくるでしょう…… 自分がなにもないところから生み出した唯一無二であると信じて疑わない表現が、過去~未来の誰かがどこかでまた新たに生み出す必然であるということを。まったく知らない誰かの思考と、過去~未来のどこかの地点で繋がる一瞬があった、けれど一瞬で離れてしまう… そんな奇跡が起きたのだと思えば、既視感をぬぐいされない疑わしい人物の表現が「これは自分の盗作ではないのか」「自分の過去をサンプルにしているのではないか」…などとつまらぬことに悩む必要もなくなる。しかし、不幸にして自分が誰かに目を付けられてサンプルブロガーになってしまう、なんてことも、あるのかもしれませんから有名になりすぎたり、あるいはその逆で誰にも見られていなかったりする場合はちょっと注意したほうがよいのかもしれません。

文章の書き方をプロ並みにする話題の文章作成無料ツール10選 (経営ハッカー)

今はこのような便利ツールがあるから、もしかすると、文章打つことを生業としているが実は毎回ギリギリの線でひねりだして・かろうじて人々の評価を得ている状態なら確実に恐怖するツールだと思った。
だけどこのツールを上手く利用して本当に素晴らしい文章が打てるのかどうかというと、まだ若干の疑心暗鬼にならざるをえない。というのも、文章というのは、言葉だけで構成するわけではない、ましてや独自の表現手法だけで構成されるものでもない。根幹を成すのはその人自身であり、言葉や表現をどう繋げてゆくのかの自分なりのパターンを熟知した上で、それらを自分の思考の宇宙の中に漂わせながら・時に楽しみながら時に苦しみながら、確信を持って繋げてゆく作業だから、やはりどんな便利ツールが生まれようと村上春樹さんは村上春樹さんであり、池波正太郎さんは池波正太郎さんであり誰も、誰一人として彼らそのものにはなれないし正しく真似ることはできない、一秒ごとが彼ら自身をそして文章を構成している。自分と自分の文章力はこの宇宙に唯一無二の星のきらめきであることを知り、自信を持って個のきらめきを刻み付ける作業です。輝いてください…… きっと貴方はきらめくことができるはず。

以上のインスピレーションを受けたのは、イケダハヤトさんのこの記事です。
「文体」こそブロガーの「味」であり、成功に必要な要素である : まだ東京で消耗してるの?

以下は余談ですが、前記事についた非公開コメントが誰なのかというと、それは秘密なのですが、トピシュさんがスターを付けていたのでざっと説明します。
昨日いただいたのは、お金を貸してあげようかというブロガー同士の顔見知りからのコメントでした。非公開にしてください、とは書いてありませんでしたがもしこれを私が公開すれば、それを見た第三者が「へえ、このブロガーはお金を貸してくれる人なのだ!」…などという認識を持ってしまうといけないので、言われなくても非公開にしました。
私は、顔見知りのブロガーに、お金を貸しましょうか?と言われてそれを恥だと思うでしょうか?いえ、ただ素直にうれしかったです。確かに、その方に私の口座番号をメールでお知らせすれば、あとはその方が振り込むだけで済む話ですから、とてもスマートです。
ですが私はその方が好きだからあえてお断りしたのです。ですが私はこの方の好意が本当に嬉しくて、今ちょっと心がやばい状態になりつつあります… だって、別居中の夫ですら私のことを助けようとはしないのに、それなのに、なぜブロガー同士の顔見知りでしかない貴方が…… 嗚呼、恋をしてしまいそうで、勇気を出してメールを送ってみたのですが、するといつも見ているブログの様子とは少し違った控えめな返信があり、この人は確かにこの世界のどこかで生きている人なんだ!ってことを実感できたような気がします…
そしてフォロワーがわずか9人しかいない、こっそり作ったTwitterでも、読者の方がわざわざアカウントを作ってまで励ましてくださいました。
ブコメでも何人かの方は言葉にして応援してくださっているので、お礼スターをつけました。ありがとうございます。いつも悩むのは無言ブクマの方にスターをつけるかどうか、なのですが… 今のところコメントいただけた方だけにつけています。