heartbreaking.

中年の末路とその記録

名前の鎖/それを諦めるかどうかを決めるのは自分

「学校に行きなさい」と母が布団をひっぺがしてゆく。「ご飯ができたよ」としつこく呼びかけてくる。
「会社行かないと間に合わなくなるよ」と夫があきれた顔でドアの入り口に立っている。 どれもイライラするものだった。

…だけど今は誰もこの布団をめくることもなく、ご飯を作ってくれることもない… 最悪会社に行きたくない日は仮病を使ってもいいし家族に体調悪そうな芝居をうつ必要もない(家族と一緒に住んでいるときはネカフェに逃亡していた)。あんな日々に比べれば今はだいぶ気分がラクなんだが、一人の部屋で目がさめるたび、今が夢で、過去のほうが現実のように思えて自分の位置が定まっていない。だから毎日決まった動作を心がけていなければ得体の知れない空間へと囚われそうだ。時間を把握するためにテレビのニュースをつけ、コーヒーを入れて一口すすった瞬間からようやく1日がスタートする。この一連の決まった動作を行わなければ自分がどうにも着地していない。

歳をとることは、見た目が老いたり、恋愛をすることが困難になってくることをのぞけば、そこそこ健康であればさほど悲観することでもない。輝いている人たちをより輝かせるための風景の一部へと変わってゆく自分に期待などしない、夢もみない、セックスなどはどうでもいい、幻想の中に掻き集めたきらめきを地面の上に投げつけてすべてにサヨナラしたつもりが、粉々に砕けたそれらが執念深く光りを放ち続けていて、まだ何かを期待している自分のしつこさに、この両目は輝きを取り戻す。若い頃のまんま何も変わってない自分はこの心によりそうように囁きかける。「本当はまだあきらめてなんかいないんだろ…?」と。あきらめるかどうかを決めるのは他者じゃない、自分だから、どこまでも引き延ばすことができることを忘れてないか。40代半ばで独身の女友だちは今だに純愛からの結婚を追いかけている、少しはそんなのを見習ったらどうだ。自分の人生は、あきらめたらそこで終わりだ。

欲しいもの、手に入らなくても、容易には手に入らないからこそ欲しくなる、たとえ手を伸ばし続けても永遠に手に入らないとしても、完全にあきらめて灰になってしまうよりは、ずっと燃え続ける炎でありたい。

名前が最高に気に入らない
リアルの人生がいまいちうまくいかない理由の一つに、自分の名を自分で決められないこともある。親が勝手に決めた名で、自分が好きで名乗っているわけではない。
名の変更届 - wiki

自分はこんな名ではないと気付いているのに、親が勝手につけた名を名乗っているし、社会に出ればこれをことあるごとに使わざるを得なくなるが、そうじゃない、私の正しい名はそうじゃない… ずっと違和感を感じ続けて生きてきた。(名字も名前もどっちも嫌いだ)
仕方ないからネットでは好きな名を名乗ってみたところ、これが案外上手くいく。本来の自分らしさまで表現できているような気がするなあ… アーティストが自分で名を決めて活動するように、一般人も社会に出たらそのような仕組みを作ってみてはどうか?いつまで親の決めた名で生きてかなきゃならないんだよ、そんなのは可笑しいぜ。

変えられない運命みたいなものが存在するとしたら、それに縛り付ける鎖の一つが名前なんじゃないか… そんな鎖などいらない、もっと自由を感じて、自分の望むもの掴み取るために…!(拳をにぎりしめながら) 俺に名前を変えさせてくれ(笑) …なんか今回の記事がヤル気に溢れてるのは、洋楽の勢いのあるPV観てる影響です(文章打つときって結構音楽の影響受けるよね…)。

Pitbull - International Love ft. Chris Brown - YouTube