愛する人と、長く一緒にいようと思うなら、絶えず幸せを与え続けないと。それは笑顔でもいいし、小さな気遣いの積み重ねでもいい。与えてもらうばかりじゃなく、自分も、相手に幸福感を与え続けなければ、それが出来ないのなら嘘だ。
だけど、継続して会い続けていると、意外とそれが難しい。愛する人のために、どれだけ自分の体に鞭打って、会うための時間を作り出せるか、一度交わした約束を破棄せず実行できるかが大事で、出来る限り会い続けることこそが、愛の証明になると思う。
会わなくなったらもう愛は終わりだ。だから疲れているとか言ってられない。愛に、疲れなど必要ない、そう思って、可能な限り時間を、彼と会うことに費やしている。
一緒にいることが愛。
……孤独に耐えられないわけじゃない、ただ誰かが傍にいるって安心感が欲しかった。
最初は好奇心で、知りたいと思った。深入りするつもりはなかった。見た目に心惹かれ、性格が好みだった。そんな曖昧な始まりだとしても、だんだん逃げられなくなってくる。深みにはまって、ここで逃げ出したら、神に殺されて、悪魔になる。見つめてくる彼の、嘘とは思えないまっすぐな目が、この心に無数の杭を打ち込んでゆく。どんな苦難がこの先待ち受けていても、一緒にいる覚悟……それが自分にあるのか……一人の時間に思うことが増えてきた。
人を愛することは、責任をとることで、それを背負う覚悟がないのなら、愛さないほうがいいとすら思う。
たとえば相手の親の面倒見ることについてもそうであるし、人を愛することは生半可な気持ちでは出来ない。
面倒なことは回避するというのなら、それは愛ではなく、相手を都合よく利用したい我儘でしかない。
彼と本気で付き合う覚悟を、そろそろ自分の中に持っていないと、どこかに綻びがでて、その隙を見破られたら、再び生涯の伴侶を探す旅に出ねばならなくなる。
旅の途中で、自分が力尽きて、そんなのは夢幻で終わるかもしれない。
通り過ぎた過去の恋愛は、どれも生涯の伴侶ではなかった。色々な経験をした上で、今一緒にいる人が最高だと思えたなら、それこそが答えで、旅の終わり。ここらで落ち着いて、ネットで馬鹿やるのも考えてゆかないと。
……。
彼と遊んでいて、外出時には、小さな子供を連れて楽し気に歩く主婦の姿をよく見かけるようになった。それが、きらきら輝いて、この目に眩しくて、自分はあの場所に手が届くのかどうか、その答えを知るのが怖くて、目を細めて見てた。
「ママ、だーいすき」
お揃いの服を着た、幼い女の子2人が、母親に向かい、可愛い声でそう言っていた。母親は嬉しそうだった。
自分にも、そんな日が来るのだろうか。もし、来なかったら……
憎しみ、怒りを通り過ぎて、何故か、近頃は、悲しみのほうが大きくなっていた。
眩しすぎて、本当は抱きしめたい、そんな幸せの情景を、ただ見つめていた。
子供は、自分が愛した男性が望まなければ、一生持つことは出来ないだろう……
貴子と麦蔵がいるのかどうかはわからないけれど、本当はもう無理だと思っている。齊藤さんを馬鹿にしているわけじゃなくて、そんな冗談を言うことで、子供が欲しい気持ちを失わずにいたいだけ……
もし、男たちの愛がなければ、私はとっくにおかしくなっていただろう。
こんな私を愛してくれてありがとう。
このまま子供に恵まれなくても、愛して、抱きしめてくれる男がいる限り、生きてゆける、そう信じて、もう少しこの地上を彷徨っていようと思う。