heartbreaking.

中年の末路とその記録

自分の子供が同じ目にあってみなければお前らにはわかんねーだろ

苦しみを加えられた人間が、必ずしも他者に危害を加えたり暴力をふるうわけではなく、過去にどんな被害を受けていたとしても、暴力行為に実際に及ぶ者は、所詮それだけの人間だったということだと思う。つまり我儘。

精神病を理由に事件を起こす人間も、それもただの我儘。

つまるところ、戦争以外で、他人に暴力を加えたり危害を加える人間は、その人生に如何なる理由があるとしても、単に我儘な人間なだけ。

だからわざわざ法律で裁く必要もない。

私は、しょっちゅう、人を殺してみたいと思いながら生きているけど、実際にやることはない。せいぜい妄想の中で楽しむくらいだ(人を殺してみたかったとか言いながら本当に殺したカスとは違う)。
小学生のリンちゃんが裸死体で見つかった事件を知ってからは……本当のことを言うと、小さな子供たちがのうのうと、何の危害も加えられずに歩いてる姿や笑顔が許せなくなった。

なんでリンちゃんは(おそらく)犯されて、それだけに飽き足らず殺されて、さらに裸で不特定多数の頭の中でさらし者にされなきゃならないのか。不平等だ。日本国内のすべての女の子が同じ目にあえばいいのにと思ってしまう。

リンちゃんと同じくらいの女の子たちが太陽の下のうのうと笑顔でいるのは許せない……と思うことが多いんだ実は。自分は殺されたわけではないのに、記憶や悪夢にもし続きがあるとしたら、という仮定が現実味を帯びて怒りの感情で腹の中が煮えたぎってることが多い。

過去に起きていた子供が殺される事件の中でも、特に今回の事件が一番、自分の中の怒りを燃え滾らせている。

自分の子供が何の危害も他者に加えられることなくのうのうと生きていられるような親たちなんて大したことない。みんな同じになればいいんだ。本当はそう思っている。

やけに輝いて見える子供たちの煌めきが、けして穢してはならない光だからこそ、何故、この怒りの感情を表に出すことが許されず、抑え込まなければならないのかの不条理の中で窒息死してしまいそうな時がある。

見なければいい。子供たちを見なければいい、だけどやつらは許可なく私の目に飛び込んできやがる。

対象をあえて子供に的を絞って、殺したいと具体的に思うのは、自分が子供との接点をまるで持たずに生きているからであって、もしも、子供たちが私にいつも笑顔を向けてくれたなら少しは違ってくるかもしれない。だけど、どの子供も、ママ、パパ繰り返すだけで、私が近くにいてもまるで異物を見るような目で見やがる……

子供を可愛いと思わない大人なんていない、だなんて幻想抱いてんじゃねえよ……地獄見せてやろうか。

それに、一番の苦しみを背負うのは、危害を加えられた子供であって、親ではない。

子供が殺されるようなニュースを観て、何も出来ない不特定多数の大人たちなんて存在価値すらないんだよ。だから世間は、無能の集まりで、結局、何の罪もないのにいたぶられたり殺されたりする子供たちを救うことなんて絶対にできやしないし、今後もこういった事件は永遠になくならないし、だからそれならば、いっそのこと、皆で悲しみを共有すればどうかと思うことが多いんだよ。そうだよ、すべての子持ちの親たちの子供が、同じように他者に暴行受けて、同じ気持ちを味わってみればいいと思うし、子供たちだってそうだよ。

のうのうと生きてんじゃねえよ、もっと苦しめよ。リンちゃんと同じ目にあってみればいいんだよ、そうしないとおめーらにはわかんねーだろ。