heartbreaking.

中年の末路とその記録

映画「26世紀青年」を観た後、ゴミ最終処分場の残余年数を調べると意外とやばい

ちょっと変わった昔の映画の紹介をします。あえて買うほどの強いおすすめは出来ないのですが、もし機会があれば観てください。

26世紀青年 (2006年)

繁殖力のある者が生き延び――知性人は絶滅危惧種となった

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冒頭は、賢い夫婦と、バカな夫婦の例から始まる。

知能指数138と141の夫婦は子作りに慎重になるあまりその時期を逃し、途中から不妊治療に励むが子孫を残せない。

それに対し知能指数84の男は上記のように子孫が増え続けてゆく……実際のところ、知能の高低はさておいて、一人の人間がこうしてその遺伝子を広げゆく様は、その通りではないですか。

随所にブラックユーモアを散りばめながらも、その根底では、もし、この現象が続くとどうなるか、という問題提起が一応成されているような気がする。

2005年、米軍事基地に所属する平凡な男、ジョー(ルーク・ウィルソン)が主人公。

すべての能力が平均的で、かつその死を悲しむ家族もいないことから、軍の最高機密の「人間冬眠実験」の被験者に選ばれる。一年後に解凍される予定だったが軍が不祥事により閉鎖したのでジョーはそのまま長く眠り続けることになる。

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2505年、ジョーが目覚めると、人口増加に伴い増え続けたゴミの山にすら対処出来ぬほど人類のバカ化は進んでいた。

過去からやってきた主人公の言動は、バカ化の進んだこの時代の人々にマッチせず、逆に馬鹿にされてしまう。

色々あったが主人公はこの時代の人々にとっては不審人物であるため、罪もないのに逮捕されてしまうことに。

そして刑務所内で1+1=2の簡単な問題に正解した主人公の知能テストの結果が大統領の目に止まり、ホワイトハウスへと連れて行かれた。

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そしてジョーが、バカ化の進んだこの時代に山積するゴミ問題や食料不足問題などをすべて解決してしまうと、ジョーより知能指数の低い大統領は宣言したのだった。その後の展開は機会があればどうぞ。

以下は雑感です。

確かに人類が増えることは=ゴミが増え続けることなので、それは日々の生活の中から出てくるゴミに接しながら常に気付いている。でもゴミ収集車が持って行ってそれで終わりって感覚はあくまで自分がスッキリしているだけなので……

毎回ゴミを出す時に、一人暮らしなのにこんなにゴミ出していると思いつつ重い袋を回収場所に投げ入れる。焼却で残る灰やリサイクル困難な物は最終処分場(埋め立て処分場)へ行きます。しかしその最終処分場も無限ではないことはご存じだと思いますが、このゴミ処理問題が人類にとっての最も重要な問題ではないですか。

3.最終処分場の状況:
(平成28年度末現在)
残余容量 9,996 万m3(前年度 1億404 万m3)[ 3.9 % 減 ]
残余年数 20.5 年(前年度 20.4 年)
環境省_一般廃棄物の排出及び処理状況等(平成28年度)について

今回、一応残余年数は年々小数点以下で微増しているようですが、でもあと20年です。

ゴミを分別出来る最低限の常識を持たなければまずいところまできているのはなんとなく感じ取れます。たとえば部屋スレで汚部屋公開してウケ狙いしている場合ではなかったわけです。

また、この映画のように、ただ知能指数が低いから子孫が増えていると言い切ることも難しいと思います。計画的に人生進めている知性の高い方もおられるでしょうから。

しかしながら、人間には努力ではどうすることもできないこともあります。

生殖能力に問題が生じている

障害により体力がなく子作り出来ない

という運命を背負った方々は根本的に子孫を残すことが困難であるため、子孫を残すという問題は非常にデリケートであり、それにより人間の優劣を決めるようなことがあってはならないですし、もし自分が逆の立場だったらどうかと想像することは、何かを得ている側の人が判断することであり、それを得られないで苦しみもがいている人々が強要されることではないと思っています。

それ故に、あえてブラックユーモアにしないとこの映画のように、現在起こっている一部の堕落した人々に警鐘を鳴らし、その未来に起こり得る危機を伝えることは難しいのだと思います。

では、知能の高さは遺伝するのでしょうか。この映画ではバカな男の息子もやはりバカで無責任に子孫を増やし続けているようです。

実際、私が見聞きしてきた世界では、堕落した親から生まれた子供のほうが「自分は親のようにはならない」と意外としっかりしているという話が多かったように思います。

逆に親がきちんとしすぎていると、その子供は堕落する傾向にあるのではないでしょうか。

しかし堕落という観点においても、誰が堕落していて、誰がそうではないかというのも、目に見える世界で迂闊にそういうことを断定してしまうことも、他人からは正しいとか間違っているということは、その本人の精神世界の中においてはおそらく認められないことで、物差しは存在しないのだと思います。

ですから不正をする人々を排除することも出来ません。その人たちにも命があるからです。生まれてしまってからはもうその一人の命を基本的にはどうすることも出来ない以上(昨今オウム幹部死刑問題で日本が他国に非難されていたように)、その新たな命は当然ながら常識や責任のある人間でなくてはなりません。

人間は、他の動物や魚のように食物連鎖できないので、ただ増やすことしかできなくて悪循環な生き物で、神が存在するのなら、失敗作なのではないですか。

もし人間が他の動物のように、他の生物に食われることで食物連鎖にとけこむことが出来たなら、すべてが自然の中で行われることです。富裕層と貧困層の問題をいつまでも解決出来ない人類に果たして知能は必要なのか。複雑な問題を作り上げ、複雑な知能を持ち、他者の生命を食らうではなくただ奪うことしか出来ない、そんな人間という生き物に未来など必要ないとは思いませんか。